第354回 すてきな魔法を
そのコンサートは、仙台市内のとある養護学校で行われました。控え室になっている音楽室はコンサート会場の体育館の上の階で、その廊下から体育館の中を見下ろすことが出来るようになっています。開演時間を近づくにつれ、エレベーターの上下する稼動音は途切れなくなり、ひっきりなしに上下しては乗り降りが繰り返されている様子がうかがえます。やがて体育館はたくさんのストレッチャーや車椅子に乗っている子どもたちとご父兄の皆さんで、床が見えないほどに埋め尽くされました。それはまるで、めしべのまわりの花びらのように、中央のピアノを囲んでいるように見えました。
何らかの理由で通常の学校生活を送ることが難しい状況にある、小学生から高等生までの子どもたちを対象としたピアノコンサートでした。「子どもたち、このコンサートを、ずうっと楽しみに待っていたんですよ!」と、校長先生や担当の先生方から伺いましたが、私の方こそ、お話しを頂いた時からずっと楽しみにしていたのです。会場に入り、PTAの会長さん、校長先生の挨拶に続いて、私にマイクがまわってきました。さて、開演です。
演奏が始まったとたん、そこに素晴らしい空気が流れたのがわかりました。全身で、そして心のすべてを傾けて音楽を受け止めようとしている彼らの呼吸が、ひしひしと感じられたのです。曲間のお話の間も、彼らの集中力は途切れることがありませんでした。
ライブ(生演奏)の魅力は様々です。お客様はよく、「演奏者を目の当たりにして、その息づかいまでをじかに感じることができるところ」を喜んでくださるようですが(私も、自分が“お客さん”になっている時はそうです)、実は、弾き手がわから、聴く人の呼吸を弾き手であるこちらも感じることができるところが大好きなのです。エネルギーが両者の間を緩やかに、あるいは力強く行き来したり、会場全体がなんだか穏やかな温かいものに包まれるようだったり…。ステージで弾いている自分は確かに“独り”ですが、同時にそこに居合わせた方々と、皆で一緒に何かを紡いでいるような、独特の感覚があるのです。
そういう意味で、それはお客様に恵まれたとても素晴らしいステージでした。演奏の途中で、つい楽しくて声を出してしまったり、拍手をしてしまったりする彼らの反応一つひとつに、心から「ありがとう」を言いながら弾いていました。慣れないアップライトピアノだったり、あまり響きの豊かでない会場だったり、というマイナス面はあったものの、まるで体育館がちょっとした農家の居間に親戚が集まっての団欒のような、和やかな雰囲気になっていたように思います。
終演後、子どもたちは自分の言葉で感想を伝えてくれたり、サインを下さい、と言ってくれたり…。音楽のちからを改めて感じて、なぜか誇らしい気持ちになりました。自分が誇らしかったのではありません。彼らの純粋な反応に触れていたら、なんだか人間であることや、なんとかかんとか毎日を必死に生きている、という些細なことが、誇らしく思われてきたのです。
やっぱり音楽は、楽しむためにあるのだ―――当たり前のことですが、改めてじんわりと…でも、とても強く、再認識しました。音楽だけではありません。人生は、楽しむためにあるのです。では、楽しみとは…?その正体は“つながって、共鳴すること”ではないでしょうか。人と人がつながること、人と自然がつながること、人と社会がつながること、そしてそれらが響きあうこと。
音楽は、自分の外や自分の内側…あちこちとつながるための、愉快なるコミュニケーションツールなのです。今年は私にとって、ピアニストとしてデビューして20年の節目の年なのですが、音楽が好きな気持ちは時を重ねるにつれ、膨らみ続けています。これまで続けてこれたことに感謝しなくては…。
むむ?もしかしたら、“思わず何ものかに(何もかもに…!?)感謝したい気持ちになる”という魔法を、彼らがかけてくれたのかもしれません。
いらして下さった皆さま、そして、この機会を与えてくれた高校生時代からの親友Gちゃん…。本当にありがとうございました。