第351回 『野ばら』の想い出

幼い頃の私は、幸せな気分も不幸せな気分も人一倍強く感じる子どもだったらしく、宝物のような、あるいは、穴があったら入りたくなってしまうような恥ずかしい想い出には事欠きません。誰かにリクエストされたら、二桁くらいのエピソードは即座に列挙できると思います。

なかでも一番感動的で印象深く、しかも今の私に直結することになったであろう想い出の一つが、とある映画との出会いでした。当時は昔話しやアニメーションの優れた番組が多かったし、テレビを観て泣くこと自体は珍しくないことでしたが、そんなにも止めどなく涙が溢れて仕方なかったのは、この映画が初めてでした。しかも、悲しみからではなく、心が感動で打ち震えるところからくる涙だったのです。

それは『野ばら』というタイトルの、1957年製作のオーストリア映画でした。それまでにも、『オーケストラの少女』や『サウンド・オブ・ミュージック』『オズの魔法使い』など、ハリウッド系の音楽映画は数多く観ていた方だと思うのですが、この作品ほど心も体も震え、音楽のもつ得体の知れないほどに大きなちからに魅せられたことはありませんでした。ヨーロッパ映画の持つ独特の雰囲気、画面に描き出されるチロルの山々、そして何よりも全編をとおして流れるウィーン少年合唱団のまさに天使のような清らかな歌声とシューベルトのメロディーのえもいえぬ美しさ…。それらすべてに小学生だった私は一瞬で打ちのめされ、「なんて素晴らしいのだろう!こういう音楽にたずさわっていたい。そしてこんなヨーロッパの山を、いつかこの目で見てみたい。」と、強く願うようになったのでした。

物語はハンガリー動乱直後のオーストリアが舞台。動乱の波を受け、ハンガリーからオーストリアに逃れて来た孤独な少年トーニは、教会のミサで聞いたウィーン少年合唱団の美声に魅せられて、入団を願って試験を受けて見事にパスするのですが、チロルの山での合宿中にある事件が起き、事故にあって生命の危機にあうのです。トーニの生死の瀬戸際に、合唱団のメンバー全員が神に祈るようにシューベルトの『アヴェ・マリア』を歌う場面で、私の涙腺は完全に決壊したのでした。

教会の聖堂のような、がらんとしたところで歌われる彼らの声は、ベッドに横たわる意識不明のトーニ少年にひとすじの光となって届き、彼は奇跡的に意識を取り戻します。この部分の描写自体は、抑制された印象で、特に効果的なカメラワークもなく進行するのですが、人の善良さ、シューベルトの音楽のもつ普遍的なちから、そして、あどけなく純粋な彼らの歌声が渾然一体となって、見る者を温かく包み込むようでした。

それからというもの、NHKの番組『名曲アルバム』などでヨーロッパの映像が流れるたびに心がときめき、逆に、どうして自分はあの地に生まれなかったのだろう、なぜ極東の日本に生まれたのだろう、と、悔しいようなもどかしいような、そしてどこか焦りのような気持ちにまで襲われて、居心地の悪い思春期を過ごすことになったのですから、この映画から受けた影響は相当だったといえます。

その頃は、将来、実際にハンガリーもオーストリアも、そしてチロル地方も訪れる機会が得られることになるなんて、思ってもいませんでした。ましてや、本当に自分が音楽を職業にして生きていけるようになろうとは!(そういえば、ハンガリー留学中に、ブダペストの一番由緒ある教会でウィーン少年合唱団のコンサートを聴く機会にまで恵まれたのでした。)

でも、思ってもいなかった一方で、常に願ってはいたのかもしれません。少なくとも、ずっと夢に見続けてはいました。あまりにも夢に描きすぎていたからか、初めてハンガリーに降り立った時も、チロルの山々を目の当たりにした時も、違和感のようなものはなく、むしろ「ああ、ついに願いがかなった。やっとこの景色に会えた」と、懐かしいような感慨を覚えたのでした。

人並み以上と胸を張れるような、大した経験はありませんが、身を持って実感し、きっぱい言い切れるのは“夢はバカに出来ないぞ”、ということ。こうなりたい、これをしたい、と願い続けていると、いつしか本当になるものです(生徒さんにも、このことはよく話します)。今でも時々、自分がお客様の前でシューベルトを弾ける状況にあることが、奇跡的なことのように思われる瞬間があるのです。本当にありがたいことです。

『野ばら』との出会いから30年以上(?)もたった今も、アヴェ・マリアを聴くとあの感動が甦って、初めて聴いた時と同じように心が震えます。

2007年09月12日

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