第338回 ピレネーをうろうろ フランスにめろめろ③~カタルーニアの鳥は~
ヨーロッパに着いた翌日はほぼ例外なくいつもなのですが、朝鳥の声で目が覚めるのです。時差のせいもあるとは思うのですが、日本では聞かれないような、歌っているようなその鳴き声に、目も意識もパッチリと目覚めるのはいかにも気分のいいもので、「ああ、またヨーロッパにやってきたのだ…」という実感がわいてきます。その愉しみのためにも(?)、なるべく防音なんてされていない、外の鳥の声が聞こえるような、簡素なつくりの宿を選ぶ必要があるのです。団体客は間違っても入り込まないような。
疲れているだろうと思って、昨夜チェックインした時にこの日の朝食(プティ・デジュネ)をオーダーしてしまったけど、こんなに早く起きたので朝食まで時間もあるし、なんだかすっきり元気で疲れもないし、早速散歩に出ました。ヨーロッパの街を朝、歩くのがとても好きなのです。いつもより急ぎ足で駅に向かう人々や、リュックを背負い、リンゴをかじりながら歩く学生さん…。そこここにある昨日の分の犬の“落し物”を、根こそぎ洗い流すべく、モーターをうんうん言わせながら水を撒き散らして、路地を縦横無尽に大きなブラシをかけてまわる、清掃車。…気づいたのですがこの町の旧市街地の歩道は、なんと大理石でできているではありませんか。ピレネーのどこかで採れるのでしょうか。やはり、ちょっとスペイン東部の雰囲気があります。
広場には、市も立ち始めました。カンパーニュのような田舎パンの店、八百屋さんに花屋さん、魚屋さんなどが白いパラソルの下にどんどん商品を広げていきます。歩きながら心に決めました。「今回の旅行で、ホテルで朝食…は今日だけにしよう」。ホテルでの朝食にも勿論良さがあって、フランスのプチホテルには、お願いすれば朝食を部屋に運んでくれるところも少なくないのですが、恋人と一緒の旅ならともかく(?)、やはりホテルで食べるのはもったいない…。だって、一歩町に出たら、こんなに朝早くてもブーランジェ(パン屋さん)ではすでに焼きたてのバケットを並べているし、カフェでコーヒーを飲むこともできる。市場で新鮮な果物も野菜も手に入るし、スーパーで山羊のヨーグルトや鴨のパテを買うこともできるのですから。
早速チーズの専門店で、昨日のムッシューの話に上がった山羊のフレッシュチーズを見つけました。しかも、女主人によると「ああ、このいちじくの形してるのはこの地方のものよ。あ、こっちのロカマドールって言うのはちょっと違う土地のだけどね」だそうで、もうワクワクです。
さて、ホテルに戻り朝食をとって、腹ごしらえできたところで、コリウールに行ってみることにしました。コリウールは地中海に面した風光明媚な港町で、スペインの国境のすぐそば。特にマティスはこの地を気に入り、多くの作品を描いていますし、フォビズム(野獣主義)の本場としても知られるところ(そういえば、ペルピニャンもあの、ダリの縁の地で、ペルピニャン駅の屋上部分(?)には彼の手による“ひっくりかえった人の像”があることでも知られています)で、建物の色彩や家を飾るタイルなど、やはりスペイン風の雰囲気が満ちていました。レストランのメニューを見ても、スペイン風の料理やら、スペインのバルのスタイルの店も多いようです。
夢中でうろうろしていたらみるみる空が暗くなり、事もあろうにスコールのような激しい雨になってしまいました。これでは写真も撮れません。ここは雨宿りをかねて、少し早いけれどスペイン風のバルに入り、少し早いけどここの地元の海の幸と白ワインのランチを頂くことにしました。
カラマスというこの辺で採れる見た目は蟹のようで味は蛤…という、食べたことのない魚介、イカのオリーブオイル炒め、この土地でもっとも誉れ高い産物アンチョビ、そしてムール貝のグラティネを選んだのですが、一緒にオーダーした地元産の白ワインとの相性の良さに、おもわずうなってしまいました(これは喩えではなく、「う~ん!」と、声に出して本当にうなってしまったのでした)。食べると、ワインを飲みたくなり、ワインを口に含むと海の香りやオリーブオイルの風味がさらに広がって、また食べたくなり…。アンチョビ数切れを残した他、あっという間に完食してしまいました(ここのアンチョビは日本でよく手に入るイタリアのものとは違って、一切れのサイズも倍以上ある、風味もフォルムもしっかりしたもの。美味しかったけど、とても一人では食べきれない量でした)。
さらにメニューの中の“クレーム・カタロン”なるものがどうしても気になって、お店の人に聞いてみます。「あの~、クレーム・カタロンってどんなものでしょう?」「あ、クレーム・パティシエのことです。それを焼いたデザートなんですよ」むむ?クレーム・パティシエって、どこかで聞いたことがあるような…。それがなぜカタロン(カタルーニア地方)という名前になっているのかもよく分からないままオーダーしてみると、それはクレーム・ブリュレのことでした。そう、クレーム・パティシエは、お菓子を作る人なら皆知っている、カスタードクリームのフランスの言い方だったのです。
美味しい美味しい!どうしてこう、何もかもが美味なのでしょう。いけない、この国は危険だ。いつもコレステロールを気にしては動物性油脂を控えなくては、と禁欲に励み、ミルクの乳脂肪分まで真面目にチェックしているのに、あっさり“不良”になってしまいそうです…。
身の危険を感じながらお店を出た頃には、雨はきれいに上がり青空が広がって、ドラマティックなほどにまばゆい陽の光りが差してきました。そして次の瞬間、もっとドラマティックなことが起こったのです。ほとんど奇跡のような!
…それは、鳥たちの声でした。雨が上がったとたんに、すごい勢いでさえずり始めたのです。その、スピーカーがついているのではと思うほどリッチな響き。先ほどの激しい雨について「びっくりしたね!」「あせっちゃったわ!」なんておしゃべりしているかのような表情の豊かさ、フレーズ感。まさに音楽です!…チェロの巨匠カザルスが、その晩年に国連でのスピーチで「人間だけが戦争をする。私の故郷、カタルーニアの鳥たちは“ピース(平和)!ピース!”と鳴いているのです」と語ったことが思い出され、涙がこぼれてしまいました。
そして同時に、先ほど雨に降られた時、少しでも「こんな海辺のリゾートに来て雨にやられるなんて、ついていない…」なんて思ってしまった自分を反省しました。どうして人はつい、お天気や経済的に恵まれることが絶対的好条件、と思ってしまうのでしょう。雨が恵みをもたらしたり、貧困から無限の感性や他人への思いやり溢れる人格が育つことだって、多分にあるというのに。少なくとも、この雨のお陰で私は、鳥たちのあのさえずりを聞けたのです。
人間にとっての幸せとは、毎日いいお天気に恵まれることではなくて、晴れた時おひさまに感謝する気持ちになれることなのかもしれない。…カタルーニアの鳥たちの声をきいていたら、そんな思いが胸をよぎったのでした。
(*ピレネーをふらふら フランスにくらくら④ に続く)