第329回 地方の「味」が元気の「基」

先月末から、相当な移動と、曲数をこなしています。この一ヶ月の間に福島、青森、山形、岩手、宮城にそれぞれ1回~3回も往復し、用意する曲はざっと60曲以上…あるときはローカルバス(高速バスと思ったら、2時間以上の行程をこなす路線バスだった…)、あるときはJRの在来線、またあるときは飛行機を使っての移動…。まだまだ前半戦も途中なのですが、今のところ疲れも出ないしすこぶる快調なり。結局この冬は風邪一つひきませんでしたし花粉症とも無縁で、周囲の辛そうにしている方に申し訳ないような感じです。

「前世はロマ(ジプシー。ボヘミアンとも。)だったのかも」と、冗談交じりに言ったら、「それは、疑う余地がありません。私にはそれが“見える”ようですよ」と、いうお返事を頂きました(その方と出会い、お話しし始めてものの1時間もたっていないというタイミングだったのですが)。確かに、月に3~4回仙台と千葉を往復する生活になってもう10年近くになりますが、移動は交通手段を問わず苦にならないし、自分の“芸”でなんとか食べていけるなら、その他のことにはさほど拘らないところなどは、ロマ気質なのかも。ハンガリー狂詩曲を初めて聴いたときも、そのあまりの“血わき肉踊る”感覚に、衝撃を感じました。というより、正直に言うと、身体が反応してしまい、気がついたら手足をデタラメに動かして、音楽に合わせ部屋の中で踊りまわっていたのでした(今思い出すと、恥ずかしい限り…)。

そうそう、数年前まで頑張っていたフラメンコも、元はというと彼らのものです。その踊りの持つ緩急の激しさ、表情の豊かさ、粋でイナセな感じや即興性、そしてそして、えもいえぬセクシーな魅力…。刹那をいっぱいいっぱいに踊りつくすフラメンコは、その音楽とともに彼らのシンボルです。

ロマ人は時として、強引です。ハンガリー留学時代、市電に乗っているときに、ロマのおばさんに近づかれ、鞄に手を入れられたことがありました。彼女には生活がかかっていたのでしょうけど、私だって、いくらも入っていない財布ではあるけど、やはり生活がかかっているのは同じ!しかも飢えのあまり、痩せ細っているならいざ知らず、よく見ると彼女は私よりずっとふくよかでした。そうとなったら、もう迷うことはありません。“バトル”です。

「ギュウギュウ…(無言で腕を伸ばし、無理やりバックのジッパーを開けようとしている)」「Nem!(=No!)」「ギュウギュウ…(まったくひるまず、続行)」「キッ!(と、彼女を睨みつつ身体をねじり、バックを90度ほど翻して彼女の腕を振りほどく私)」「…(諦めた様子)」彼女は無賃乗車だったのでしょう、次の駅でそそくさと市電を下り、次なる“獲物”を探していた模様でした。

そんなに頑張って死守したお財布なのに、ある日、事もあろうに公衆電話をかけた後、電話ボックスに置き忘れたことがありました。「お嬢さん!(当時はまだ、そういう感じだった)ほれ!忘れてるよ!!」人のよさそうな叔母さんが、私のお財布を振りかざしながら小走りに(私はどちらかというと、早足だったので)近づいてきてくれたっけ。

こんなことでは、ロマ失格です。こともあろうに、お財布を置き忘れるなんて…。わたしには、ロマとしての才能がないんのではないか?『鈴木美奈子前世ロマ説』、はやはりどこかちょっと違うんじゃないのか?…でも、ちょっと待って。そもそも彼らにとってお財布の中味というのは一番大事なものではないのかもしれないのです。大切なのは、どんなことをしてでも家族を守り、体裁にとらわれず与えられた時間をめいっぱい生きてみせるぞ、という「生命力」なのではないでしょうか。いつだって彼らの目は、ギラギラと露骨なまでに力強く輝いていました。

前回訪れたハンガリーも物質的、経済的に随分豊かになり、そんな強い目をしたロマの人たちも少なくなった印象でした。彼らも、今の世の中でかつてのような放浪生活を営んでいくのはあまりにも大変なので、ひとところに定住する傾向ようになってきたのだそうです。19世紀後半に、リストやブラームスらが魅せられたロマ独特の音楽も、踊りも、これからは受け継がれていくこと自体が難しくなっていくのかもしれません。

民族の持つ言葉、衣・食・住の文化や様々な特徴…。土地に息づくものも人によって伝承されていくものも、それぞれ大切に守られていくべき価値のあるものだと思います。地方のあちらこちらの町を訪れるにつけ、どこも駅前が閑散としたシャッター通りになってしまっていたり、郊外にはきまって駐車場付きの巨大なショッピングモールが建設されていたり、立派な駅ビルに都内と同じ系列のテナントが入っていたりするのを目にしては、なんだかもったいないような気がしてしています。…で、ついつい、その土地ならではの珍味だの地酒だのを物色しては、せっせと買って帰る私です。

2007年04月04日

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