第311回 良寛さんの書のように

ハンガリー留学時代に出会って、たくさんの時間をブダペストで過ごした大好きな人と、久しぶりに会いました。彼女もピアニストですが、私と違うのは彼女は素敵なお母さんでもある、というところです。しかも、とびきり愛らしく、才能豊かなヴァイオリニストの…。

11歳にして、すでに海外でも演奏活動をしているお嬢さま。そのほとんどのステージで、彼女が伴奏をつとめます。お互いにとって、なんて素晴らしい共演者でしょう!つい数ヶ月前にも、ヨーロッパで開催されたとある歴史ある国際コンクールのジュニア部門で、見事第二位を受賞されたばかりです。

そんな立派なお母さんでもある彼女は、私より二つ年上なのですが、留学時代と変わらず少女のような面影をもっていて、一緒にいるとどちらがお姉さんだかわからなくなってしまうのです。メールのやり取り中も「待ち合わせの場所は、美奈子が決めてくれる?美奈子とだと、なんでもお任せしちゃう。これはずっとかわらないかも…」と、いう調子。この、彼女からのメールの“ずっとかわらない”というフレーズに、ハンガリー時代のこと、そしてこれからもきっと、ずっとお友達でいるであろう二人の将来(?)に思いをはせては、幸せがこみ上げてきてしまうのです。

そして今日、表参道で二年ぶりの再会が実現しました。この二年の間にあった、プライベートでの様々な出来事(離婚とか…)も、彼女にかかるとみんな“明るい未来”につながるような気持ちになってくるから不思議です。「美奈子は幸せにならなきゃ!だって美奈子は、うんと幸せになれる素質をもっているのよ?」彼女に言われると、うん、そうだそうだ、と、だまされたように納得してしまうのです。

「美奈子は人に合わせられるものね…。私はできないの。あるところから“これ以上無理~!ごめんなさい!”ってなっちゃう。それでも、家庭に入って随分成長はしたのよ。ふふふ…」嗚呼、この人はなんて歌うように、美しく笑うんだろう…。この笑い方、ちっとも変わらないなぁ。悩みを話していても、それを受けて彼女が自分への“ダメだし(に聞こえないけど…)”を愉快に話す姿に、いつの間にか励まされてしまうのです。

そういえば留学時代にも、「私には、私に耐えてくれる人しか近寄らないみたいなの。きっと、お互いに何か危険?なものを感じるのね。だから、変な人は寄ってこないし、ちょっと寄ってきたとしてもすぐ離れて行っちゃう。で、結局ちょうどいいの。うまくできてるのよね~。うふふ!」なんて笑っていたっけ。柔らかい雰囲気、優しいまなざしに少女のような表情をたたえながら、彼女は私よりもずっと強いものを持っているのだと、改めて感じました。柔らかさの中の強さ…まるで良寛さんの書のようです。そしてそれこそが、人間にとって最も大切な、真の“強さ”なのでは…、とも。

以前は、“自分の信じる道を極め、それを人々に受け入れてもらえるようになること”に、私の目指す幸せがあるのだ、と考えていました。それは基本的には変わりませんが、この頃はちょっと違うニュアンスになってきています。それは、“自分が学んだことを、少しでも人に還元できるようになること”。極めること自体よりも、極めようと努めることや、その中で何を得られたか、に意味があるのではないでしょうか。それに、人々に受け入れられないとしても、なんらかのかたちで人の役に立つことができたら、充分幸せなことです。音楽や音を通して、だけでなく、同じ場にいる人に穏やかな充実感を与えられる、彼女のような人になれたら、どんなに素敵でしょう。彼女と一緒にいると、心から彼女の幸せを祈りたい気持ちでいっぱいになり、素直にそんな気持ちを抱ける人の存在があること自体、幸せなことなのだ、と思い知り、また、彼女も私に対して、まったく同じ思いを持っていることも感じられて、もう二重三重にハッピーになるのです。(のろけすぎ?)

「今、(特別にお付き合いしている人は)いないの?」「いないの。一人で生きていけそうに…強そうに見えるのかな」「そうね~。強くみられやすいかもね。ふふっ。本当は可愛いのに!」う~む、いつの日か、私を彼女のように“可愛い”と思ってくれる男性は、現れるのだろうか…。

2006年11月30日

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