第304回 マイノリティーをめざしたら
CDの製作が架橋に入ってきました。音を最終的にチェックしてマスタリングしてもらったり、ジャケットの構成をデザイナーの方と話し合ったり…。そんな中でしばしば受けるのが「美奈子さんは、どうしたい?」「これに関しては、どんなイメージを持っている?」などといった質問です。お話をしているうちに、本題から離れて雑談になっていくこともありますが、それまで考えても考えてもなかなかまとまらないでいたのに、他愛のない雑談の中からふっと、「これだ!」というイメージが浮かび上がってきたりすることが珍しくありません。物を作るって、人の“思い”を形にすることなのだな、と改めて実感しています。
でも、きっとビックネームのアーティストの方は、いちいちを担当スタッフさんとこんなふうに密に話し合いながら詰めていく作業に関っていくのは、時間的にも難しいことなのではないでしょうか。コンサートが週に2回も3回も入っていたら、私も「後はお任せします。校正をお待ちしています!」になってしまうと思います。
もちろん、私は“作り手”ではなく“伝え手(弾き手)”なので、大筋をお伝えできたらあとはお任せすることになるのですが、コンサートのような一過性のものと違う、手元に残るCDのようなものを作りこんでいく場合は、「“弾き手”として音を収めたら仕事は終わり!」という意識ではなく、その音や音楽が聴く方にどんな風に伝わるか、どんな風にその方と関っていってほしいのか、ということも、どうしても考えてしまうのです。
例えば、ステレオを凝視して(あるいはじっと目を閉じて…)集中して聴いて下さい!…という雰囲気で、できる限り残響をいれずに、直ぐそばで弾いているような(これはジャズの方が好まれる録音タイプだそうです)リアリティのある音にするのか、あるいはコンサートホールでゆったり聴いているような、ある種の距離感のある響きを入れ込むのか…。
今回はそのいずれでもなく、ゆったりと聴いていただきつつも、親密感のあるような音をイメージしてみました。同じ部屋(ホールではなく)にいるその人(CD)と、議論に白熱するのではなく、ぽつりぽつりと会話を交わしながらリラックスしている感じで聴いていただきたいな、と思ったのです。選曲もそんなコンセプトで行いました。
さて、今度の問題はジャケットのイメージです。これは一番ムズカシイ!表に自分の写真を出すべきか否か。写真やイメージカットは、どのようなものを使うか。…なんと言っても、初めてこのCDと出会う方にとって、ジャケットは“アイコン(入り口)”になるのですから、大切なところです。「マーケティング的には、演奏者の写真を入れたほうがアピールしやすいんですよ」「確かにそれは一般的だし分かりやすいですね。でも、演奏者の写真じゃなくてもいいのでは?」「グラフィックスやイメージカットだと、今流行のコンピレーションとかオムニバスのCDみたいに見えない?」「…あ、そうですよね」「できればピアノを弾いている写真が一番分かりやすいでしょうね」「う~ん、う~ん…」
でも、色々な方とお話していく中で、少しずつ方向性が見えてきました。マーケティングも大切だけど、もともと「こう作ったら売りやすい!」とされている反対の(?)ところから出発したのです。つまり「あまり知られていない人が、ほとんど知られていない曲を、まだ世間には知られていないレーベルから出す」という…。
こうなったら、この期に及んで市場を意識したりするよりも、のびのび自分の愛着の持てるものを作った方が楽しそうではありませんか!
考えてみたら、多数の方から好感触、高評価を頂くことだけを目指さず、自分の趣向やコンセプトをきちんと伝えられるよう(自己満足にならないように気をつけながら…!)、表現の仕方を追及していくのは、そのまま芸術表現においても共通する大切なことです。そんなふうに表現された私の“思い”がCDを手に取った方に伝わって、少しでも共感をしながら聴いてくださったらこんなに嬉しいことはありません。メジャー路線ではなく、あえてマイノリティーを目指していくことで、私の場合はむしろ進みたい方向に近づけるのだ、…と気づいたら、なんだかスッと肩の力が抜けていくのを感じました。
リリースは12月頭を目指しています。どんな仕上がりになるのでしょう…。ドキドキしてなかなか眠れないこの頃です。