第302回 「気楽」が一番
気がついたら、このエッセイも300回をいつしか越えていたのですね。今頃になってふと、気づきました。
始めた当初は「ホームページを開設するなら、定期的に更新する“何か”がないとなぁ…」と、ただそれだけの軽い気持ちで始めた週刊エッセイですが、まさかこんなに(6年以上!)永く続けられるとは思ってもいませんでした。これも、温かく見守り、応援してくださっている優しい皆さまのお陰です。ありがとうございます。
「よくネタが続くね」と、労ってくれる友人もいるのですが、決してネタが続いているわけではないのです。あまりちゃんと過去の原稿をチェックしていないので、同じようなことが一部にだぶって書かれているのはしょっちゅうですし…。昨年までは、一週間が経過したらその前の記事は読めないようになっていたので、本当に無責任な“書き捨て”感覚でアップしていました(それは今も変わりませんが…)。そのいい加減さが性分に合っていると見えて「いいのいいの、物書きさんじゃないんだから、上手な文章じゃなくても!」という気持ちで、結構楽しく毎週木曜日、パソコンに向かっています。ほとんど「あ~あ、今夜はまたエッセイの更新だわ。いやだなぁ、何を書こう…」という気持ちはならないのが、不思議です。
多分、アドリブで気ままに書いているのがいいのだと思います。構想、下書きの類は簡単なメモすらも一切なし。パソコンを起動させて編集画面を開くまで何も考えず、空っぽの『無』の状態でぼんやり仮タイトルをかかげ、おもむろに書き始めています(この時の仮タイトルは“お題”として材料にしますが、多くの場合後で変えます)。まったく真面目さ、几帳面さが足りません。それどころか、ほとんど必ず、好きなお酒をちびちび飲みながら書くことにしているのです(あれ?だから「いやだなぁ」にならないんですね。な~んだ、今わかりました。我ながら単純…)!
だから、「えらいね」「よく書けるね」なんて言われようものなら、もう恥ずかしくて穴があったら入ってしまいそうになるのです。でも、待てよ。…と、いうことは、こんな気楽な気分で取り組めば―――そこに、お楽しみ(私の場合は、「お酒」)をセットにしてしまえば、さらにラクチンに――― 一見大変そうに思われることでも、案外するっと切り抜けられるものだってことなのかしら?
こりゃ大変!だって、何かを成し遂げるには確固たる信念と責任感、何が何でもやり遂げてみせるぞ!…という強い意思をもって取り組むべし、と言われて育ったのに。確かに、ピアニストになろう、という夢を実現させるためには色々、頑張ってきたような気もするけど、「とにかく音楽が好き」「音楽の他は、特に興味なし」「楽器は何でも好きだけど、ピアノが一番なじんでいる」という状態だったので、気がついたらごく自然に音大を目指していたのです。音楽への情熱は持っていましたが、「がむしゃらに練習しまくった!」とか「ライバルを蹴落としてでも…」なんていう世界とは程遠く、高校に入っても、休み時間というとピアノのある教室に行って、水戸黄門のテーマをラフマニノフのピアノ協奏曲風に弾いたり、ショパンのピアノ協奏曲を都はるみの演歌にしてしまったり、はちゃめちゃなことをアドリブで弾いては皆でげらげら笑ってばかりいました。
「いい加減」とか「気楽」って、いい言葉だな、と思います。だって「いい加減」は“好い加減”、“良い加減”って考えた方がしっくりくるし、「気楽」に至っては人間にとって最も大切な“気”(元気の気、気合の気、気力の気…)が“楽しい”状態なんですよ!?「気楽」に取り組んで初めて、人は本来持っているちからをのびのびと発揮出来るのではないでしょうか。
だから、「やりたい!」…と感じる何かに出会ったら、あまり構えすぎないで心を空っぽにして「気楽にやってみる」ことができたらな、と思っています。結果がどうあれ、自分が心から楽しい、と感じることのできる時間が過ごせたというだけで、それは価値のあることになるはずですもの。