第301回 ムラはムダに非ず
「うちの子、どうしたら練習するようになりますか?」と、ご父兄から尋ねられることがあります。答えに困る質問の一つです。子供にもれっきとした“練習しない理由”があって、それによって対処も違ってくるからです。
なかなか練習しなくてもあえて何も言わず、自発的にピアノに向かうまでじっと待っていた方がいいケースもあれば、「ちゃんとやりなさい!」と、ストレートに発破をかけたほうがいい場合もあります。その他、「お母さん、○○ちゃんのピアノ聴きたいなぁ」みたいに、湾曲してプレッシャーをかけるのが効く子供やら、さり気なく今やっている曲を話題にして刺激すると、急に張り切りだす子供もいます。
そこで、「じゃぁ、うちの子はAタイプだからこの方法で…」、なんて形に当てはめようとすると、またそれを裏切ってくるのも子供の柔軟さ。彼らは私たちよりもずっと多感で、ぐんぐんものを吸収する能力に長けているので、刻一刻と変わっていくのです。練習したりしなかったり、言われたことをちゃんと注意してきたりすっかり忘れていたり…。そんな子供たちの伸びやかさが、この頃羨ましかったり、とても愛しかったりします。彼らのムラの多さは、素直さ、純粋さのあかしだという気がするのです。
心配なのは、そんなムラのまったくない子供です。本当に音楽が大好きで、ピアノの練習が生活の一部になっている、ということのならいいのですが、「ピアノの練習は一日に○時間!」というスローガンを掲げ、きちんとそれを守り通す毎日を“無意識”に繰り返している様子にふれると、「この子、大丈夫かな?」「ちゃんとお友達とふざけたりして、息抜きもしてるのかしら」なんて老婆心がわいてしまいます。
因みに私はというと、ピアノは大好きでしたが練習が特別好きな子ではありませんでした。学校から帰ると、まずおやつ。今思うと、おやつも楽しみでしたが何より、お菓子をつまみながらその日の出来事を母に話すのが好きだったのです。授業中におかしなことをするクラスメートの話、先生が授業中にお話になった印象的な言葉、仲良しのお友達とのおしゃべりについてなど、毎日毎日ネタはつきず…。それらを母は、かなり我慢強く(!)聞いてくれるのですが、やがて恐れていた一言が聞かれる時がくるのです。「美奈ちゃん、そろそろピアノ練習しなくていいの?」
考えてみたら、いつも母は「しなくていいの?」で、「しなさい」とはほとんど言いませんでした。「しなくていいの?」は、思えばよく出来たフレーズです。「しなくてはならないけど、今はまだしない」と逃げることもできれば、「しなくてはならないこともないけど、まぁ、一応やっとこうかな」と、格好をつけることもできるのです。私の場合はこのフレーズを聞くと、まるで言葉のベルトコンベアにのせられたみたいに、「うん、する」と、ほいほいとピアノの前に向かってしまいました。母親、恐るべし。それでも、弾きながら、さっきのお茶の時間に母に話しそびれた“ネタ”が浮かんでくると迷わずピアノを離れ、またほいほいと台所の母のところに行っては「あ、さっき言い忘れたんだけどね…」と、やるのです(なんて落ちつきがないんでしょう!)。
おしゃべりは時間のムダ、と大人は決めつけますが、おしゃべりしている時の脳の動きを波形で見たとしたら、きっとすごいことになっていると思うのです。人に何かを伝えようという時には、記憶力、表現力、話の構成力、語彙…様々なスキルが働いているはずですし、かなり脳に刺激的なことなのではないでしょうか。もし、練習を半意図的に(?)忘れて、他のことに熱中していたとしたら、それはそれで彼らはちゃんと、何かを学んでいるのです(多分)。一定の時間、ピアノの音を鳴らすことがない(あるいは、机に向かって勉強しない)からといって、彼らが何も“学んで”いない、とはいえないのではないでしょうか。話しがちょっとそれますが、好き嫌いも然り。小さい頃に「これ嫌い」「もう食べない」と言って好みの偏りや食べる量にムラがあっても、時期が来れば嗜好も変わり、自然にその時々の成長に必要なものを摂取するようになっていくようです。子供に限らないことかもしれませんが、たとえ行動にムラがあっても、ムダなことはないのです。
「この曲、できませんでした」という子供に、理由を問い詰めないようにしています。その代わりに「じゃ、一緒にちょっとだけやってみない?」と聞いてみます。母の「しなくていいの?」じゃないけど、子供に「やってみる」か「今は自信がないから、やめておく」を選択できるように、と思って…。でも、彼らはそんな時、必ず言うんですよ。「うん、やってみる!」って。