第295回 人はやさしく陽射しはつよく ~フィンランドで白夜焼け~③
現地の人とのちょっとした会話から、旅の思い出深い出来事が生まれるケースが多いような気がします。だから、“なるべく自然体で、人との会話を楽しもう”、というのがいつのまにか私の旅先でのテーマになっています。それは私にとって、世界遺産を見るよりもずっと大きな楽しみなのです。もう一つの重要なお楽しみは、もちろん、“お腹と予算の許す限り、なるべく現地のものを食べてみよう”…!
ヘルシンキのとあるカフェで気になるお菓子に出会い、注文してみました。大きめのトリュフチョコレートのような外見なのですが、微妙にゴツゴツしていて、なんだか美味しそう…。食べてみるとナッツやドライフルーツがたっぷり入ったお菓子で、フルーツの自然な甘みとナッツの香ばしさ、それにふりかけてあるココアパウダーのほろ苦さがなんとも後を引く味です。意外なことに、フィンランドで食べたスイーツは、日本のものよりも甘さ控えめなぐらいで、どれも素材の味や香りが生きていました。
帰りがけに、ついカフェの店員さんに声をかけてしまいました。「頂いたお菓子、とっても美味しかったです!もっとしっかり甘いのかと思ったら甘さもちょうどよくって、とても香ばしくて…」「ありがとうございます。ナッツやフルーツを使った、うちの自家製スイーツなんです」「へぇ!例えばどんなものが入っているのですか?」「オーツ麦にひまわりの種、ドライベリーやココナツとか…。作り方は簡単なんです。焼き菓子みたいに見えるけど、実はオーブンで焼いていないんですよ」「え!?焼いていないのにこんなふうにまとまるんですか?」「そうなんです。あ、よろしかったらレシピをお渡ししましょうか?」
てっきりレシピが書かれた小さなチラシか何かがあるのかと思ったら、さにあらず。彼女はお店の奥から大判のレシピ本を持ってきてページを探し、他のスタッフと「え~っと…。ねぇ、○○○って英語で何ていうんだっけ?」「なんだろう…。“混ぜる”かな?“捏ねる”?」「ふむふむ。じゃ、△△△は?」なんて話しながら、新たに入ってきたお客様の応対を他のスタッフに任せ、熱心にメモってくれています。日本ですら、ちょっとやそっとでお店のレシピを教えてもらえることなんてなかなか「ない」のに(実は私の場合、結構「ある」のですが…!)、会話の流れがあまりに自然で、一瞬自分がこのカフェの常連客のような気がしてしまったほどでした。
ヘルシンキから特急列車で一時間ほどのところに位置する、ハメーンリンナという地方都市に足を伸ばしました。フィンランドの国民的大作曲家、シベリウスのゆかりの街で、ホテルのすぐ裏手に、彼の生家がひっそりと佇んでいました。
入館してひと通り見てまわった後、スタッフの女性に「この辺りでシベリウスやパルムグレンなんかの楽譜が買えるところをご存知ですか?」と聞いてみたところ、地図をだして丁寧に答えてくれました。「ここからすぐのところです。図書館もよろしかったら閲覧していただけますよ。場所はこちら。図書館もここからすぐよ。この街では、どこも“すぐ”なの。小さな街なものですから…!シベリウスの直筆の楽譜や、知られざる作品にもご興味があるのでしたら、ヘルシンキに有名な音楽院があって…」「あ、シベリウス音楽院ですね?」「そうです。そこの図書室には、興味深いものがいろいろあると思います。実は私もよくは知らないのですけど…。あの、音楽家の方ですか?」「はい、ピアノを弾いています」「よろしかったら聴かせて頂けませんか?こちらにピアノがありますから、是非…!」こう言うと彼女は、かつてのシベリウス家のリビングルームで、今はスタインウェイのグランドピアノが置かれたちょっとしたコンサートスペースになっている部屋に私を促し、ピアノの鍵を開けてくれたのです!
思いがけない展開でした!シベリウスの生まれた家で、ピアノを弾けるなんて!!…私は迷わず、彼の小品を弾きはじめました。そのグランドピアノはかなり古いものでしたが、ヨーロッパならではの適度に乾いた空気と、家の構造や材質によって、その音は美しく豊かに響いてくれました。懐かしいヨーロッパの響き…!その場に居合わせた母によると、シベリウスを弾きはじめた瞬間からスタッフの彼女は頬をみるみる高揚させ、目をきらきら輝かせて聴いてくれていたそうです。
アポイントメントもなく訪れた、その国で最高に(私にとっては…!)歴史的な場所で、ピアノを弾かせてもらうなんて…。これがもし日本ならとても考えられないことです。彼女のはからいは、おそらくマニュアルではなく、彼女自身の判断によるものでしょう。この上なく貴重な、そして幸せな経験をさせてもらって、彼女には心から感謝あるのみです。
70度もあるフィンランド式サウナの中で、たまたま居合わせた若い女の子と話し込んでしまったことも…。この国でであった人々は皆、飾らない表情で、適切で思いやりあふれる応対をしてくれました。この自然さ、さり気なさは、一体どこからくるのでしょう?
(*フィンランドで白夜焼け④に続く)