第288回 憧れの“晴耕雨読”

あちこち旅をしていますが、思い出に残るのは、世界遺産でも人気観光スポットでもなく、“普通の”地方都市の街角の表情だったり、偶然入ったカフェやレストランのちょっぴり幸せなひとときだったり、地元の人とのふれあいだったりします。

「有名な場所を訪れたことが一生の思い出になるとは限らない」。転じて、「有名なもの(人)が必ずしも優れているとは限らない」という図式が頭の中に成立しているのを反映してか、「高価なものが必ずしも美味しいとはかぎらない」と認識しているようで、食費がかからず助かっています。

例えば、穀物と野菜、乳製品と豆製品があれば、高価なお肉やお魚がなくても気になりません(体のために食べるようにしているけど)。乳製品でいえば、ヨーグルトは何年も前から自家製ですが、最近はその自家製ヨーグルトから生クリームやイギリスのダブルクリーム(濃い生クリーム)の代用品になるものを作ったり、牛乳からちょっとしたフレッシュチーズ(カッテージチーズ)も作れるようになりました。あとはハードチーズが仕込めるようになったら完璧なんだけど…(これは無理!ぶどうからワインを作るようなものですよね)。デザートが何もない時は、果物(リンゴの場合は焼きリンゴにします)にちょっとブランデーかラム酒をふりかけ、ホイップした生クリームをのせて頂いたりすると、おしゃれだし満足度高し!(良質のオリーブオイルがあれば、オレンジのスライスにかけると絶品デザートになります!)

豆製品、これは広いです。大豆だけでも煮豆のようなお料理は勿論、お醤油、豆腐、味噌、納豆に至るまで…。さすがにお醤油は作れませんが味噌や豆腐、納豆が上手に作れるようになったら素敵だな…、と、秘かに夢みています。豆乳も最近気に入っていて、カフェラテをソイラテ(豆乳ラテ)にしたり、冷やしうどんの付けだれをゴマだれのイメージで豆乳とお醤油、しょうがのすりおろしを合わせたものにしてみたり、ポタージュに使ったりしては面白がっています(あ、今思いついたけど、今度スコーンに牛乳の代わりに使ってみよう!)。

私たちは基本的に生きるために仕事をしていますが、生きることとは食べること。…となると、食べ物を作ること、これ即ち生きる基本!…ということになります。

実家の父は、退職してからもっぱら野菜作りという“仕事”に従事(?)していますが、毎日自家製の、安全で新鮮でとびきり美味しい野菜が食べられる幸せを知ったら、もう高級レストランで味わえるヨロコビなんて小さなものです(大体、たま~にしか行けないのですから、大きなヨロコビになりようがない)。

宮城県の有名な米どころに実家がある生徒さんが、いつも新米の時期になるとお米を送って下さるのですが、それは農協に納品するのではなく、自分たちで食べるために別枠で作っているお米なのだそうです。父の野菜もそうですが、そうやって作られたものと一般に売られているものとのあまりに違いに、もうびっくり…。いくら有名ブランド米といっても、このホンモノの美味しさにはかないません。貴重なそのお米は電気炊飯器ではなく土鍋(セラミック製だけど…)で大事に炊いて、ひと口ひと口、感謝しながら味わっています。

ありえないけど日本が農業自給自足の国になったら…?かつて宮沢賢治が思い描いたような、理想郷が展開されることになるのかも…。少なくとも、子供の教育体制や社会全体が著しく変わることは間違いないでしょう。でも、それを目指すべし、と思ったら、思った人から実行しなければ意味がありません。

と、いう訳で、実行は出来ていないのですが、今、とても“憧れて”いるのです、『晴耕雨読』の生活に(私の場合は雨読、の中味は“楽譜を読む”とか“ピアノを弾く”ということになると思いますが)…。畑のある広い一軒家に住んで、庭にウコッケイを飼って、ピアノを弾いたり教えたりする以外は畑で作業するか、台所にこもって料理するかして、たまに(しょっちゅう?)周辺のお友達や生徒さんたちを呼んで、皆で美味しいものをど~んと囲んで豪快に食べる…。いつかそんな生活、できたらいいな~。

2006年05月25日

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