第287回 夢をめぐる夢

『となりのトトロ』にでてくる“ねこバス”の猫のような巨大な動物に追いかけられる…というか、押しつぶされそうになる夢を見ました。それは恐怖、というよりも「も~!ゆっくりしていたいのに、いやになっちゃう…」という、なんだか面倒くさいような、憂鬱な気分でした。なんのことはない、うっかりベランダ側の窓を開けたまま寝てしまったので、明け方、すぐ外で頑張っている猫たちの格闘中の声がず~っと部屋の中に入ってきていたのです。

そういえば、以前は追いかけられる夢をよく見たものですが、最近はあまり見なくなりました。もしかしたら夢そのものをあまり見なくなっているのかもしれません(これって老化の現われ?)。

でも、相変わらずたまに見てしまうのが“準備がきちんとできていないのにもう本番だ!”という夢。こういう時に限って(?)舞台袖から覗き見ると観客席は超満員なのです。私はというと、「ええっと、今日は何を弾くんだっけ?あら?いったい今日のプログラムって…」と、一人おろおろ、うろたえるばかり。飽きもせず、この手の夢を見るわりには、“本番当日、もう間もなく開演だというのに、客席がガラガラ…”という夢は見たことがありません。

どうやら私の潜在意識では、お客様が少ないことよりも、自分の準備がきちんと出来ていないことのほうがずっと“オソロシイ”事態なのである、という認識になっているようです。そこにはきっと、「音楽家なのだから、いい演奏ができるように努めるのが使命!仮にお客様が少ないとしても、もともと営業活動が本業ではないのだから、致し方ないけど…」という言い訳が、大きな顔してのさばっているのでしょう。きちんと危機感を持って、営業活動に身を入れることができない理由が、そのあたりにありそうです。

…とは言っても、私なりに頑張って営業活動(?)をしているつもりではあるのです。以前コンサートにいらして、記帳して下さったお客様へお知らせをお送りしたり、新聞などの催し物欄への掲載願いを出したり、めぼしい会場にチラシを置かせていただいたり…。それでも、お客様を集めるのは大変なことです。…考えてみたら、世の中には営業のプロがいて、そういう方々がきちんと興行を支えているのだから、私のようなアマチュア営業マン(の、さらにはしくれ)が、少しばかり当たり前のことをしたとしても、なかなか結果に結びつかないのは当然なのです。多分、潜在意識のなかの私はそれを理解しているのでしょう。

よく見る夢、という他に、夢の中でよく出てくる風景があります。それがどういうわけだかあまりロマンティックなものではなくて、荒涼とした土地に戦車の待機している街角、あまり美しくない駅の片隅やら、雑踏のスラム街…といったものが多いのです。友人とそんな話をしていたら、お会いして間もない友人の連れ合いの方から「あなたは、前世が旧東欧あたりに流れてきたジプシーだったのです。間違いありません。それ以外には考えられませんよ」と、えらく太鼓判を(?)押されてしまいました。う~む、そういえばハンガリーもジプシーのカラーが色濃く感じられるところだったし、一時期夢中になったフラメンコも、ジプシーたちによって発祥したものと言われているものだし…。

なんでも「踊り手か楽器の弾き手かは分からないけれど、アカデミックな教育は受けられなかったから、きっと(今のあなたの魂は)そういう部分を補おうとしているはず」なのだそうです。他の事はともかく、こと音楽に関しての勉強が大好きな理由は、これできれいに裏づけされました。

となると、実は“放浪本能”があるのかな?それとも、放浪生活は充分体験したから“地に足の着いた”生活を経験したがっているのでしょうか?…願わくば、実生活はきちんと地に足が着いているけど、音楽家としての魂は常に大気を自由にたゆたって、あらゆる快楽と深い思想を謳歌している…っていうのがいいんだけど。

2006年05月18日

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