第286回 確かな時を刻むもの

「先生、これメトロノームですよね。かわいい!」…さっき、自分の練習の時に使ったまま、つい置きっ放しになっていた小型のそれを指差して、中学生のMちゃんが微笑みました。「ああ、それね。そう、メトロノームよ。今は電子音で、光も出たりするのがあるみたいだけど…」「え~!?そうなんですか?なにそれ、そんなのなんかムカつきますよ~!だって電子音じゃ、こっちが音楽しているのに気分ダイナシじゃん!こういう、カチッカチッ…っていうのがいいです~!」Mちゃんは思いがけず“電子音”に強い拒否反応を示し、憤然としてしまいました。「うちにもメトロノームありますけど、もっとでっかいんです。小さい時、ただ鳴らして遊んだりしました~。なんか、面白くって…」

私の手元にあるのは、20年ほど愛用しているWITTNERというドイツ製のメトロノームです。勿論、ネジ式で、持ち運ぶのに軽くて便利な樹脂製。本体同様、音も大きくないのですが、私には充分です。演奏を邪魔しない、ほどよい“カチカチ音”と、バックに入るサイズ、電池も電気も必要としないところ、そして何よりハードユースに耐える丈夫なところが気に入っています。

そういえば私も、よく“ただ鳴らして”遊んだことを、ふと思い出しました。メモリを極限まで下ろして超高速を刻み、そのテンポで無理やり今習っている曲を弾いてみようと試みたり、逆にいっぱいいっぱい…止まる寸前まで遅く設定して弾いてみては一人で大爆笑したり(今思うと、そうやって遊びながら、音楽に“適正なテンポ”とはどういうものか、という感覚を身につけようとしていたのでしょう)。9歳離れた弟が小さい頃は、彼にこの音を聞かせてよく一緒に遊びました。規則正しいテンポを刻む音が、メモリの移動で、速くなったり遅くなったりする…ただそれだけなのに、うっとりするほど心地よかったり、笑い転げるほどに可笑しかったりするのですから、子供の感性、想像力がいかに凄いか…、です。

いつもではありませんが、自分が外でピアノを練習する可能性のあるときは、よく持ち歩いていました。バルトークの権威、ピアニストのゾルタン・コチシュのマスタークラスの時に、学生がバルトークの指示とは違うテンポで弾いているのをコチシュが指摘したことがありました。「バルトークに関しては、テンポ表示をまず、守ること!ここは152から144への変化なんだから、そんなに沢山変えちゃおかしいよ。え~っと、誰かメトロノームもってない?」バックをごそごそしてメトロノームを取り出し、コチシュに「はい、持っています。どうぞ」と差し出したら、彼はニヤリと笑って「ア~、コノメトロノーム、フルイカタチ~!」と、日本語でからかわれたのを覚えています。失礼ね、せっかく貸してあげたのに。曲がりなりにも、ハンガリーよりもずっと工業技術先進国(…ていうことになっている)の西ドイツ製の小型モデルだというのに!…と、ココロのなかでちょっぴり憤慨したのでした。新しいもの好きなハンガリー人のこと、日本人が差し出すメトロノームにはセイコーとかの電子音とかランプが点滅するようなデジタル系を期待していたのでしょうか。

Mちゃんではないけれど、実は私もデジタル音がちょっと苦手なのです。

メトロノームは振り子の音です。その音が聴こえにくくても、ちょっと目をやれば振り子の動きでテンポを把握できます。そんなアナログな道具には、デジタルにはない、人間の感覚と響きあう“余地”があるような気がしています。

アンティークの腕時計のネジを巻いてはそっと耳にあて、そのささやかな“コチコチ音”に聞き入ってみるのも、お気に入りのひと時です。

2006年05月11日

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