第277回 幸せの成分
昨日はあるフルート奏者の方とのリハーサルがあり、終わってから近所の居酒屋さんにくりだして、夜が更けるまで実にいろいろな話に花が咲きました。日本人の優柔不断さと、その一方での独自の美的感覚について。はたまたコルトーの弾くショパンについて。禅的な思想や能にみられる表現の崇高さ、宇宙観(!)についてや、プロの音楽家でいるために欠かせない、アマチュアリズムについて、などなど…。気づいたら、お店で過ごした時間と、飲み干した“一の蔵(宮城県の銘酒)”の多さに、ちょっと唖然としてしまいました。
時間を忘れて、少年少女のように芸術について、あるいは芸術家のあるべき姿勢について熱く語りあえるのは、私にとって実に愉快で有意義なことです。なんというか、それはビタミンのように、確実に身体に効くのです。お話しを伺ったり、自分が実際に言葉にしてみて改めて気づくことも多いし、何より、自分に近い志を他の人の中にも感じとり、お互いが響きあうのはとても励みになります。
そんな昨日のプラスエネルギーをちゃんと練習に変換して(?)、今日はなかなか実のある一日になったような気がして、よい気分で二ヶ月ぶりに近所の会員制ワインバーに出かけました。相変わらず、ちょっと他では頂けないような素敵なワインが出てきます。…ちびちびと幸せのしずくを味わいながらソムリエのオーナーさんとのワイン談義を楽しんでいたら、入り口のドアが開き、次の瞬間に「あれっ?美奈さん!」の声が…。声の主は、よく行くカフェのオーナーさんでした。
彼もそのお店には、数ヶ月ぶりに訪れたとのこと。あまりの偶然にびっくりです。これからやってみたいことを、幻想ではなく現実として具体的にイメージし、ひとつひとつの判断を重ねてするりと実行してしまうパワーをもった彼と話していると、私もまた、やりたいことが次々に沸いてくるのです。いいエネルギーは人に伝わり、いい波動になって働くものなんだな、とつくづく感じます。
考えてみたら、ベートーヴェンの作品の一つ一つにも、そんなプラスのエネルギーは満ち満ちています。それがどんなに高い芸術性を持ち、普遍的な世界観を示しているのか、…なんて理解していない幼い頃に、私は彼の音楽に触れ、とにかくその魅力にとり付かれてしまいました。「音楽をしたい!」と、思ったと同時に頭をよぎったのは「この感動を誰かに伝え、共に感じあいたい!」という思いでした。そういえば子供の頃の私は、ピアノを弾いては「ど〜お?」と、周りに聞いてまわっていました。
例えば、指を怪我しただけでも、子供にとってはちょとしたトピックです。よく生徒さんが私に、「ほら先生、ここ」と、痛いところを見せてくれます。「あら、どうしたの?」「あのね、はさみじゃなくてカッターナイフで紙を切ってた時ね…」彼らは伝えたくて、そして分かってもらいたいのです。その時痛かったり驚いたりしたことを、共感して欲しいのです。
人はそもそも、表現したり、受け止めたり、共感しあったりすることを求めて生きているものなのでしょう。だから、それが得られないときには苦しむことになるのです。でも、表現したいことを表現する幸せは、誰でも感じることができるはず…。だって、心からのありがとう、をいう時、人は自然に幸せそうな顔をしていますよね。
ベートーヴェンの曲から発せられる強いプラスエネルギーを、子供の野生的感覚で受け止め、その素晴らしさを伝えたくて仕方なくなったあの頃の気持ちを、お守りにして大切に胸に抱いていよう、と思います。それはきっと、私の大きな支えになってくれるような気がしています。