第274回 dolce vita

お宮にお参りしたり、お位牌の前で手を合わせるとき、みなさんはどんなことを頭に浮かべるのでしょう…。そんな時は頭を空っぽにして、ふと心に浮かんだことをつぶやくことにしているのですが、このところは決まって「よい出会いと学びの機会に恵まれますように…」になっています。

お陰で一攫千金のチャンスや玉の輿(?一応独身ですからネ…)にはまったく縁がありませんが、「よい出会い」「学び」の機会には近頃とても恵まれています。

疎遠になっていた大学の先輩にひょんなことからお会いできることになったり、かつての教え子とメル友になったり、もう外国生活が永く、10数年も会っていない親友との文通が復活したり…。一方、音楽とは関係のないところでのコミュニティーも少しずつ広がって、そういう方とお話しする中から、はっとするような啓示を頂いたりすることも増えてきました。

最近、よくお話しする機会のある某人気のカフェのオーナーは、とても穏やかで柔らかい物腰の中に、鋭い洞察や深い考察が見え隠れする方です。昨日も「美奈子さんの音楽家としての将来的なビジョンって、どういうものなんですか?」と聞かれ、ドッキリ。音楽家ってつい、コンサート会場でのいい音響や、楽器のコンディションを気にして、完璧に近い演奏を追及しようとばかりしてしまいますが、彼らが感じる「よいコンサート」とその間には、抜き差しならぬ温度差、というか、価値観のズレのようなものが存在しがちなことが分かってきました。

「例えば、これは僕があるイタリア人からいわれたんだけど、“お前は仕事をするための人生をいきたいのか、それとも人生を楽しむために仕事をするのか、どっちなんだ?”って」…これを置き換えると、「演奏会をこなすために音楽をやっているのか、音楽を楽しむためにいい演奏家を目指すのか」になります。この二つは、似ているようで中味も意味もまったく異なります。

「僕なんか音楽のことはわからないから、ナマでいい音楽が聴いて、よかった、すごかった、と感じる時って、理屈じゃないんですよね。それがコンサートホールでいい音響じゃなかった、とか、ピアノがアップライトでよくなかった、とか、そういうこと通り越しての貴重な体験とか素直な感激って、あると思うんですよ。」確かに、ヨーロッパの街をぶらぶらしていて、ふいに聴こえてきた大聖堂の鐘の音の素晴らしさに、しばしぼ〜っと我を忘れたり、偶然入った教会で聖歌隊が練習しているのを聞いて、ふっと涙が出てきたり…。意外に、脳(左脳?)が無防備な時こそ、ホンモノの感激や感動に襲われることが多いような気がします。

彼のブログ(インターネット上の日記)はとても人気があって、カフェ同様毎日沢山の人が訪れるのですが、その秘密(?)についても語ってくれました。「僕はポジティブなことしか書きませんもん。これは自分で言うべきことじゃないかもしれないけど、見てくれた人がちょっと癒されて、“ここを覘いてよかったな”、って思ってくれるように、と…」これは彼のカフェづくりにも共通の思想です。ブログというと、私なんかはつい、自分の書きたいことをただ書いてしまいがちですが、彼は常に読む人のことを考えていたと知り、なるほど…、と身につまされたのでした。

何を大切に生きていきたいのか。「自分はこういうふうにしか生きられない、自分にはこれは無理、…と思うのって、実は自分で自分にストップかけてるだけなんですよね。何らかの言い訳を盾にして。本気でやろうとすればできるはずだし、誰もとめないのに…」何気ないオーナーの言葉に、いつのまにか励まされています。

一体どなたの恩恵を受けてのことなのか、私自身はこんなにふつつかなのに、本当に周囲の人々には恵まれています。…せめてその方々に少しでもご恩が返せるように、そして、「何か」を「誰か」に発信できる人になれるように…。これからも出会いや学びを大切に生きていきたいものです。

2006年02月09日

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