第273回 SYMPOSION!
この頃とても嬉しいことに、音楽関係以外の方と親しくお話しする機会が増えてきました。皆さんがクラシック音楽やコンサートについて、どんなことを感じたり望んだりしていらっしゃるのか、会話から垣間見ては心の中でふむふむ、と、勉強させてもらっています。
演奏家は万全の準備をし、当日は本番に向けて意識を集中させ、開演となればさっそうとお客様の前に姿をあらわして緊張のカケラもないかのごとくに悠然とお辞儀をし、一呼吸おいて弾きはじめる…。演奏が終われば拍手を頂き、また「出すべきものはすべて出しきりました!」と、かすかに笑みを浮かべてお辞儀をし、退場。と、こんな感じがクラシックの一般的なコンサートの様子です。
これが当たり前だと思って育ってきたので、大人になってからジャズのライブを初めて体験したときにはとても驚きました。だって、演奏者が会場に入る時に特にお客様からの拍手を頂くこともなく、弾きはじめる前のお辞儀もなく、いや、そればかりかここでもお客様の拍手はなく、ただ「さて、じゃ、始めようか…」という感じでつつつ〜っと演奏に入っていくのです。逆に拍手は演奏の途中でしたって構わないし(むしろ、各奏者の聞かせどころのアドリブ後に、タイミングよく拍手するのは、粋なマナーのように見えました)、自分が弾いていない時に、他の演奏者に向かって微笑んだり、聴きながら体を動かしたり…。
そういえば、フラメンコもです。暗転していたステージがふっと明るくなり、すべてのメンバー(カンテ、ギター、バイラ…)がすでに舞台上の椅子にスタンバイしていて、ギターが「ボロロン!」とかき鳴らされ、カンテ(歌手)が歌い始め、やがてバイラ(踊り手)がおもむろに椅子から立ち上がる…(この、立ち上がる瞬間が緊張感に満ちて、なんともゾクッとくる格好よさ!)。やはり曲の途中で、メンバーのみならずお客様も拍手、ならぬ掛け声を自由にかけたりするし、この掛け声のタイミングがまた、踊りや会場の雰囲気をぐっと盛り上げたりもする、重要な要素なのです。
ジャズにしてもフラメンコにしても言えることは、お客様が何らかの形で実際にステージにかかわっている…、というよりも、ステージに参加している、ということではないでしょうか。ロックのコンサートなんて、観客が演奏者と同じくらいのエネルギーを使って、加わっていますよね。
そこへいくと、クラシックはどうも、参加を感じにくいスタイルになっているかもしれません。でもこの、“実際に参加している”感覚こそ、実は楽しむことの根本なのではないかと思うのです。勿論、演奏が素晴らしければそれだけで文句なく楽しめるはずではありますが、それはあくまでも理想です。「なんだか敷居が高い感じがして…」「僕なんかよく分からないから、気後れしちゃうんだよね」という声をよく耳にします。マニアや専門家でなくても、もっともっと楽しんでもらうことってできないのでしょうか。
考えてみたら、初めからクラシックコンサートが今のようなスタイルで行われてきたわけではないのです。器楽の場合、シューベルトやショパンの時代くらいまでは、数十人程度のサロンコンサートが主流で、曲間にはお話も入っただろうし、演奏者と聴き手との間も近く、かなり親密な雰囲気でした。カリスマピアニストのリストが出現したあたりから大ホールでの演奏会が行われるようになり、徐々に様子が変わっていったようですが…。
と、いうわけで、何らかの形でお客様がもっと“参加”を感じながら楽しんでいただけるような形態でのコンサートを、企てているのであります。『作り手(作曲家)』『演じ手(演奏者)』『聴き手(お客様)』が、一体になって、ある時間を共有するようなコンサートにしたい…、と、お世話になっているデザイナーにお話したところ、何日も何日も考えてくださって、ついに『symposion(*ソクラテス時代のギリシャで、食後に共にワインを飲みつつ学問・芸術について熱く語りあった宴。シンポジウムの語源)』というコンサートタイトルを命名してくださいました。わが意を得たり、とはこのことです。
素晴らしいタイトルに負けないような内容になるよう、秘かに燃えているこの頃です。是非、お運び下さいませ!