第267回 幸せを食べよう!

昨晩、広尾のとあるレストランで、友人で音楽仲間でもあるヴァイオリニストのSちゃんの結婚披露パーティーがありました。

新郎との馴れ初め(結婚への成り行き?)を以前から聞いていただけに、感慨もひとしおで、パーティー前夜に「美奈子ちゃん、スピーチお願いしたいの」と、言われて何を話すかぼんやりと考えてはみたものの、なかなかまとまらず…。もともと年齢には見えない、可憐で可愛らしい彼女ですが、昨晩は幸せの魔法にかかったように、よりいっそう美しく輝いていました。私のつたないスピーチを真顔で一心に聞いてくださっている新郎の横で、一言一言に頷いたり微笑んだりしながら聞いてくれるSちゃん…。なんだか夢を見ているようで、ポ〜ッとしてしどろもどろになってしまうも、しどろもどろのなかで幸せをかみしめている、…という、おかしな感覚でした。人間には幸せのパワーが必要なのだわ、と、改めて感じました。

では、幸せのパワーは、どこから、どのようにチャージしたらよいのでしょうか?…家族や孫たちと楽しいひとときを過ごすことから、という人もいれば、独りで放浪の旅に出ることから、という人…、様々でしょう。私の場合は、大好きな音楽に触れることは勿論、美味しいものを食べること、気の置けない友人と談笑すること、のいずれもが、大切なエネルギー源になっています。

まず、「大好きな音楽」。聴くのも好きですが、弾くのも教えるのも、それぞれに楽しみがあります(その三つの“好き加減”がだんだん同量になってきて、とても嬉しく思っているのです)。要は、音楽(作品)を通じて作曲家とコミュニケーションをとったり、会場のゲスト、あるいは生徒さんとコミュニケーションをとる、という部分において、私にとってのその三つは共通なのです。コミュニケーションは共感に通じ、共感が幸せに通じる、という図式。

「美味しいもの」はもっとも分かりやすいですよね。現実的に、食べ物の栄養素が体に働きかけ、体の健康を守っていくのですから、これはもう必然です。体の健康が心の幸せに直結するのは、いわずと知れた部分です。それが美味しくいただけるのであれば、もう人生半分勝ったも同然!(ちなみに、私の言うところの「美味しいもの」は、「高級なもの」とは限りません。「有名なもの」と「いいもの」がイコールではないように、私にとっては「高級なもの」が「美味しいもの」と一致しないこともあるのです)。

さて、最後の「友人との談笑」。神様が一体私の何を気に入ってくださったのか、幸せパワーを強く持ち、かつそれを表現できる友人には本当に恵まれています。そんな友人たちは、たとえ一時的に落ち込んでいたとしても、それをバネにビヨ〜ンッとジャンプしてしまう気配がすぐそこに感じられ、「大丈夫よ!」と言いながら、こちらがいつのまにか励まされてしまうのです。

昨晩のSちゃんは、幸せの妖精になって、手にしたブーケ、という魔法の“杖”から、幸せの濃厚なエッセンスを会場のゲストに惜しげもなく散布しているかのようでした。「幸せ成分は、いくら摂取しても、“過ぎる”ってことにはならないし、アレルギー反応を起こすこともないんだ。それどころか、たくさん幸せになるということは、周りの人にもその“おこぼれ”を振舞うことができるし、それを遠慮なく頂くことが、また自分の幸せレベルも上げることになるし、そうするとまた周りの人にも…、という良い循環につながるのね。…とすると、幸せになるのは自分のためだけじゃない、地球のためなんだ!」と、ワインと彼女の幸福な笑顔に酔った頭で、ちょっと飛躍したことを考えながら、忘年会帰りの会社員で満員のメトロに揺られていた私です。

2005年12月16日

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