第264回 美しい言霊(ことだま)
いつものんびりペースの私にとっては、この20日からの10日間は非日常的な忙しさです。九州、東京と、地元八千代の三箇所でのコンサートやリサイタル、しかも演奏曲目も編成も、どれも違うのです…。
でもその合い間に、遠くの旧友を訪れることが出来たのはとても大きな喜びでした。福岡から“リレーつばめ”なる列車に乗って、新八代からいよいよ九州新幹線つばめに乗り換え、いざ鹿児島へ…。温暖な九州を訪れて改めて驚くのは、その山なみの美しさです。東北の生活が長い私は“山→雪→寒い”という図式が頭の中にしっかり出来上がってしまっているようで、九州にこんなに素晴らしい山々があるだなんて、意外だったのです。
“リレーつばめ”の、イギリスで乗ったバージンアトランティック系の鉄道のようなモダンなデザインとは打って変わって、新幹線つばめのインテリアは柿渋色、古代漆色など日本の伝統色が配され、洗面室にはなんと、い草の縄のれんまでしつらえてあるし、座席のファブリックは西陣織です。日よけはロールブラインドになっていて、しかも桜材でできているし、仕切り壁はクスノキ材だし、肘掛にもテーブルにも、たくさん“木”が使われていて、なんと心地よい贅沢なひと時だったことか…。今まで日本で乗った列車の中でも、一、二を競う印象の強さでした。
さて、あっという間に鹿児島です。10年以上ぶりに訪れましたが、つくづく「海、山、美味しいもの…」、と、大切なものがきれいに三拍子そろったところです。でも、さらにそれに加える重要なものがあります。「美しい方言」です。
桐朋学園時代からの親友のお宅に滞在させてもらってしみじみ感じたのは、鹿児島の方言の表情豊かさ、美しさでした。彼女の家族は夫婦と男の子二人の四人なのですが、四人ともがそれはきれいな地元のアクセントとイントネーションで会話をするのです。つまり、完璧な鹿児島なまりで。それは歯切れの良い博多弁とも違う、どちらかというと沖縄に近いのでは…?と思われるような、歌うような“節”を持っていて、とにかく聞いているだけで気持ちが良くなるものなのです。新幹線の開業にともなって、新しくつくられた“鹿児島中央駅”と、東京のどこぞのベイサイドかと見まごうような、駅周辺のビルの出現に、ちょっぴり「鹿児島よ、おまえもか…」と、寂しい気分に襲われていただけに、友人家族の快い鹿児島弁の響きには心からうっとりしてしまいました。
そういえば、学生時代に読んでもうタイトルも忘れてしまった田辺聖子さんのエッセイの中で、彼女は大阪の人だけどめっぽう東北弁にヨワいのだ、ということが書いてありました。友人の井上ひさし氏に、ためしに東北弁で何か話してもらったところ、危うく氏によろめきそうになった、というくだりまでありました。彼女の軽快な筆からは「方言は良いものであるからして、絶やさぬよう、また、間違ってもそれを話すことを羞じぬようにすべし」といった教訓めいたものはまったく伺えないのですが、だからこそ逆に、読み手にはそういうメッセージがストレートに伝わってきて、「物を書く人って、やっぱりすごい」と、思ったのを記憶しています。
私が思わずうっとり聞きほれた鹿児島弁は、なんでも津軽弁と並んで分かりにくい方言である、と言われているようです。そういえば、津軽弁聞いたときも、“うっとり”だったっけなぁ…。最近、「野菜のソムリエ」だの「チーズのソムリエ」だのと、専門的な知識と感覚を習得するのが流行っているようですが、「方言のソムリエ」っていうのは未だ聞いたことがありません。あってもいいような気がするのだけど。