第263回 孤独の中の神の祝福
何ヶ国語もを自由に操るコスモポリタン。長身でハンサム、カリスマを感じさせるたたずまい。芸術に対する深い洞察と幅広い教養。ピアノを弾かせたら右にでるものはいないほどの圧倒的才能。コンサートをひらけば常に超満員、膨大な収益を上げるも、時にそれをすべて協会に寄付してしまう気風のよさ。「彼が申し出てくれたら、たとえ命と引き換えにしてもそれを受け入れるでしょう!」と夢みる女性(注:未婚・既婚問わず!)は、数知れず…。
そんな、存在そのものが夢物語の主人公のようなフランツ・リストが、生涯において選んだ意外に数少ない二人の女性は、いずれも人妻でした。はじめの女性マリー・ダグー伯爵夫人は夫も家庭も捨ててリストの元に走り、やがてリストとの間に、のちにワーグナーの妻となる娘コジマほか、三人の子供を宿しますが、やがて不和になって離別。二人目の女性カロリーヌ・ヴィットゲンシュタイン伯爵夫人とは、彼女が夫との別居中に同棲をはじめ、それを合法化するためにローマ法王の許可をもらいにいくも、結局その願いは受け入れられず、大きな失望の果てにカロリーヌは尼僧になり、リスト自身も僧籍に入ったのでした。
その、カロリーヌとの愛情を暖めていた頃に書かれた一連のピアノ作品の中に『詩的で宗教的な調べ』という曲集があります。曲集を構成する10曲には、華やかな超絶技巧から離れ、人間の内面の高揚や宗教への畏敬の念などを描こうとしたような作品が並んでいます。そうはいっても充分にピアニスティックで劇的効果満載の第7番の“葬送曲”が最も有名で、ついコンサートでは私もこういった曲を選んでしまうのですが、実は一番憧れているのは、第3番“孤独の中の神の祝福”という曲なのです(ちなみにこの曲集は、愛するカロリーヌに捧げられています)。
リストのタイトルにはなかなかユニークで、印象的なものが多いような気がします。『村の居酒屋の踊り(メフィスト・ワルツ)』『死の舞踏』『ダンテを読んで』『心を高めよ』『考える人』そして『エステ壮の噴水』…。目の前にふとその場面が結像するような、あるいは、心の中がブルっと動いて思わず“聴いてみたい”、と反応しまうようなタイトルで、この辺からも彼が人を惹きつけるのが上手な人であったことがうかがえたりします。
来週のコンサートで演奏する作品は、そんな彼によるオペラのトランスクリプション(編曲)。“別れ〜グノーの『ロミオとジュリエット』の主題による夢想〜”という、長いタイトルをもつ、ものすごくマイナーな作品です。未だかつてこの作品の入ったCDを見つけたことはありませんし、勿論、コンサートで弾かれた記録も見たことがありません。(もしかしたら今回が日本初演かも…?)
書かれたのはカロリーヌとの結婚問題にも終止符が打たれた数年後。当時リストは、様々な編曲物や宗教的な作品に取り組んでいましたが、この作品はまるでシェイクスピアの悲劇の主人公たちに自らの運命を重ね合わせ、ところどころに“祈り”のモティーフを挟みながら静かに想いをはせているような情感で綴られています。曲の構成にはやや散漫な感じがあるものの、かえってそれが“夢想”というイメージにも結びつき、弾くほどに共感(?)がわいてくるのです。
“孤独の中の神の祝福”もそうですが、楽譜を読むと、タイトルに沿い、外界に向かって開かれた、豊かなアプローチが見て取れます。タイトルだけでも心惹かれてしまうリスト。ピアノにさりげなく置かれた手袋に婦人が殺到した、だの、演奏を聴いた人が失神することもしばしばだった、だのと言われているのがどこまで真実かはわかりませんが、神話の一つも生まれて然るべき、というほど魅力的な人だったに違いありません。願わくば、そんなリストの世界を少しでも伝えられますように…と、まさに祈るような気持ちで、孤独にピアノに向かうこの頃です。