第259回 二物を与えてくれなくてもいいから
前回のエッセイで話しの引き合いにモーターショーを出したところ、なんと偶然にも、知り合いの音楽家があさってから幕張メッセで開かれる正真正銘の東京モーターショーに出演するのだという話を聞いてびっくり。しかも、モデルとして!う〜む、容姿端麗の彼が羨ましい…。それは某ファミリーカーで、なんでも『ニューファミリー』的イメージの素敵なパパ役ということでの起用ということらしいけど、相手の奥様役(?)は20歳のモデルさんなのだそうです。彼は40歳をしっかり超えているのだけど、年齢の開きは問題ないのだろうか?(若く見えるから、クリア?)
彼みたいに、天から二物をもらえなくてもいいけど、もし神様が一つだけスペシャルなものを与えて下さるとしたら、何をお願いしようかな…。ピアニストなんだから、勿論「もっとピアニストが上手になりますように…」っていうのが正論なのでしょうけど、なんだかちょっと違うような気がするのです。
こんなことを考えたのは、先日地元の小学校で行われたコンサートでの“質問コーナー”で、可愛らしい小学生の女の子からこんな質問を受けたことが発端です。「どうしたら、ピアニストになれるのですか?練習はどのくらいしたらいいですか?」
…自分の脳みそのCPUが遅くて、頭の中の考えを簡潔にまとめられないのをしみじみ恨めしく思いながら、「練習時間は日によって違いますが、3〜4時間は毎日、するようにしていました。ただ、ピアニストになるにはただ、練習をして、ピアノを弾くことが上手になるだけではなく、他にも様々なことを学び、身につけていかなくてはならないと思います。色んなことに興味を持って、しっかり学ぶ力をつけることと、“なりたい!”という気持ちを持ち続けることが大切だと思います」…。
と、とにかく格好をつけたものの、なんだか随分、偉そうなコメント…。本当は迷ったりしょげたり落ち込んだり、の連続なのに。でも、確かにピアノが上手、っていうだけではいい音楽家とは言えないし(それじゃすぐに、“行き止って”しまう)、芸術家としての資質は楽器云々とはまた別のところにあるのは事実です。
では、落ち込んだり迷ったりしない人になりたいか、というとそれもつまらないかも…。そういえば先日テレビを見ていたら、米国の映画監督が言ってたっけ。「君が旅をしていて道に迷ったら、それは神様がくれた幸運だと思いなさい。そこで君は、路地を曲がるたび、地元の人には味わえないドキドキやワクワクを経験し、真の旅人になれるのだよ」ふむ…。そう思うと、道に迷うのもなんだか人生の一興っていう気がしてきます。
また、あるセラピストは著書の中でこんなことを書いていました。「すでに起こってしまったことを気に病むのをやめ、起こらないかもしれないことを心配するのをやめた時、あなたは今という瞬間にいることができる。その時、あなたは人生の喜びを充分に体験し始めるだろう」そうか。迷わない人になるのではなく、迷ったらそれを楽しんでしまう。何も気に病んだり心配したりしないのではなくて、たとえ気に病んだり、つい心配してしまったとしても、そんな気持ちを受け入れた後に前向きに転換できる…っていう柔軟さが大切なのかも。それはもしかすると、本当の意味での『自然体』でいる、ということかもしれません(おお、何だか禅的…)。
本題に戻って…。さて、神様へのお願いはどうしよう。やっぱり「人生をめいっぱい楽しめる人になれますように」かな!