第258回 音楽家が食いしん坊なわけ…?
恵比寿のとある場所に、ワインビネガーとオリーブオイルを量り売りしているお店があります。以前から気になっていながら入れないでいたのですが、先日、ついに潜入することが出来ました。
そのお店は、看板商品である様々な種類のワインビネガーやオリーブオイルの他にも、ワインやシェリー、グラッパ(*イタリア産の無色透明のブランデー)やリキュールなんかも100cc単位の量り売りで扱っていました。しかも驚いたことに、そのすべてをテイスティングして選ぶことが出来るのです。このところ、調味料の奥の深さにはまっている私は、目が泳いでしまって何が何やら…。まるで、車が大好きな男の子がモーターショーの会場に足を踏み入れたような状態になってしまっていたのだと思います。まずは、エプロンの似合うご主人に「どうぞ。疲れが取れますよ」と、差し出されたクランベリーのワインビネガーを試飲。お酢の酸っぱさというよりも、果実の自然な酸味とさわやかな甘みや香りがあって、こんなビネガーがあったら、さぞや美味しくて見た目もきれいなドレッシングが出来るだろうな、と、想像してついうっとりしてしまいます。
でも、何といっても気になった(お酒以外で)のは、オリーブオイル。イタリアやスペイン、そしてギリシャのエクストラバージンオイルが色々と並んでいて、どれを試食してみようかわくわく迷いながら、「これは?」「イタリア産のオリーブオイルで、天然のオレンジの香りを移しこんでいるんです。」「へ〜っ…。こちらは?」「これもイタリア産ですが、先ほどのものとはまったく違ってずっとスパイシーな、強い風味を持っているんです。味見してみますか?」「はい、ありがとうございます。…で、実はこのギリシャ産のものも気になっているんですけど…。オリーブオイルっていうと、イタリアかスペインのイメージがあるのですが」「この、“クレタ”ですね。ギリシャは実はオリーブオイルの発祥の地でもあるんですよ。これはクレタ島で収穫された実から絞ったもので、昔ながらの力強い草の風味を持っているんです。かなり個性的ですが、うちのお客さんには結構ファンが多いんですよ。」
試食したすべてがすばらしい特徴をもっていて、つい、どこかの偉い料理人の言った「この世にまずい食材はない。まずい料理があるだけだ」という言葉を思い出してしまいます。中でももっとも惹かれたのは、“クレタ”。オリーブオイルというよりも、オリーブの実の絞り汁、という感じで、しかもクレタ島の草やエーゲ海(?)の香りまで感じられて、なんともいい雰囲気…。お買い上げ決定です。でも、ここで終わるわけがない!反対側の棚にある、アモンティリャードのシェリー酒が気になって仕方ないのであります。ご主人がテイスティングさせてくれましたが、味見したらますます気に入ってしました。「これ、ここでいただくこと、できますか?100ccとか…」「勿論、いいですよ。実はウチは隠れた“立ち飲み屋”なんです!よかったらこのへんのドライフルーツなんか、つまみにどうぞ」
オリーブオイルを選んだりシェリー酒を頂いたりしている間にも、常連さんと思しき男性が、密閉できるワイン用の空き瓶を手に、ふらりとワインを買いにきたりしています。近所にこんなお店があったらなぁ!…お店のご主人と何かと話し込んでいるうち、ふと気になって「あら?お店は何時までですか?」と、たずねると「7時までです」「えっ?もう40分も過ぎてますね。こんなに長い時間、お邪魔していたとは…。ごめんなさい」「いいんですよ、適当にだらだら開けている日もよくあるんです。あ、僕、閉店後はこの店にいることが多いので、よかったら来て下さい」…ご主人にレジの傍らに置いてあったお店の近くのバーのカードを手渡され、クレタ島の美味しい雫の入った瓶を片手にお店を出たのでした。
良い食材や美味しい調味料が手に入ると、お料理のイメージが広がります。それは、良い作品に出会い、演奏のイメージが広がるのと似ている気がします。