第256回 解放するか保守するか…それが問題ね

もうすぐ10月です。と、いうことはもうすぐ“衣替え”であります。この時期になると、ある日突然、教室の中が「白」から「ネイビー」になる中学、高校時代のことが毎年思い出されます。日本はこんなに南北に細長くて、実際に気温も地方によって相当な違いがあるというのに、一様に10月1日が衣替え、というのは、いかにも律儀で日本らしい習慣のように思います。

初めてヨーロッパで、この過渡期を過ごした時は、ちょっとしたカルチャーショックを受けました。何月何日、という決まりはないのですが、それでも、それまでの装いから一転し、皆が申し合わせたように“冬”の装備になる日が突然くるのです。つまり、あるちょっと肌寒い朝、何気なくいつものように市電に飛び乗ると、乗客の半数以上が帽子をかぶり、ウールやダウンのジャケットをはおっている、という状況になるわけです。

一年を24もの季節に分割する二十四節季がある日本と違って、あちらには「お彼岸を過ぎたんだから、もう白いサンダルは季節はずれよねぇ」とか、「10月になったのに夏素材のバックは持ちにくい…」なんていう感覚はありません。寒ければお彼岸前でも皮のコートを着るし、暑ければたとえ10月だってタンクトップで町を闊歩してしまう。形にとらわれないのは確かに合理的だし、楽なのですが、感覚の違い、というのもちらちらと感じました。

例えば、洋服やヘアスタイルの選び方。“合わせやすさ”や“ベーシックな色や形”を基本とするのではなく、プライベートで着る服なら完全に個性重視です。流行もあるけど、一番の選択基準は「自分が着たいもの」であるということ。(そのくせ私が黒い帽子を選ぼうとすると、「あなたは髪がそんなに黒いのに、黒い帽子なんて良くないわ。顔色がくすんじゃう。黒は私みたいなブロンドに似合う色よ」と、容赦ないのだけど。)ヘアスタイルに至っては、これはもう、美的価値観の違いは歴然としています。…クセ毛の私は髪が広がらないように、少しでもまっすぐになるように…、と、日本ではストレートパーマをかけたりシャンプーのたびに念入りにブローしたりしていたのに、あちらでは「ボリュームのあるヘアスタイルこそ、ゴージャスでセクシー!」ということになっているらしく、私が髪を結んでいると「ミナコ、その髪型は良くないよ」と誰かに必ず言われ、たまたま下ろしていた髪が雨天の湿気でさらにバクハツしている時に限って、見知らぬおじさんに「失礼ながら、美しい髪でいらっしゃいますね」なんて声をかけられたりする、という具合です。

そうそう、ハンガリーは温泉でも有名なのはご存知ですか?基本的には水着で入る“混浴”なのですが、私としては水着になること自体が既に気恥ずかしく、ましてやプロポーションに自信もないのにビキニなんてとんでもない!…と、露出度の低いワンピース型の水着しか持っていませんでした。ところが、一緒に行ったハンガリーの友人に「ミナコみたいな体型の女の子こそ、ビキニが似合うんだよ。その水着は良くない」と、きっぱりNGを出され…(それにしても、ハンガリー人は“良くない”と、まぁはっきり言ってくれる…)。

「この色は似合わない、この形はだめ」と、無意識のうちに決めつけてしまっている“思い込み”って、誰にもあるのかもしれませんが、あまりそれにとらわれないで、感覚を開放して変化を楽しめたら、気分も変わって幸運につながるかも。…私も秋刀魚や栗や新米ばかりに心を奪われていないで、少しはおしゃれにも気を遣わないとね!

2005年09月29日

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