第253回 偉大な父
11月のフルート・デュオとのコンサートでは、プログラム前半でバッハのトリオソナタを二曲、演奏することになっていますが、これにはもう少し説明を加えないといけません。正確には「優れた音楽家を多数輩出したバッハ一族の中でも最も有名な“大バッハ”こと、ヨハン・セバスティアン・バッハのトリオソナタト長調と、彼の初めての妻との間に産まれた次男、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハのイ長調のトリオソナタ」を弾くのです。プログラムにはさらに、大バッハの長男、ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハの二本のフルートのためのデュエット(こちらはピアノなし)も並びます。
数字だけでなく、人の名前にも弱い私は、初めてこれらの名前を聞いたときは親しみを感じることが出来ませんでした(長すぎる!)。ちなみに、バッハは再婚していて、二人の妻との間の授かった子供は彼ら以外にも10数人、全部で20人近かったのです(その名前も正確な数も、例によって覚えていない。だって、多すぎるんだもの!…とはいえ、中絶も避妊も認められていなかったキリスト教徒としては、当時珍しくない数だとは言われていますが…)。いくら息子たち(なぜか男の子限定)を素晴らしい音楽家に育て上げた、とは聞いても、では誰がどのような作風であるか、なんていうことには大した興味も抱くことなく、大学を卒業してしまいました。
だから、ブダペストで初めてカール・フィリップ・エマヌエル・バッハの作品を聴いた時は(ハンガリーが生んだチェロの名手、ミクローシュ・ペレーニがソリストを務めた、協奏曲でした)、そのあまりにチャーミングな音楽に驚きました。ブダペストで最も美しい夜景を誇る、ドナウ河沿いのペスト側に建つ、ヴィガドーというネオ・ゴシックのコンサートホールでした。大バッハとはまた違った伸びやかなアプローチに、古典派的ソナタ形式がすっかり確立される前らしい、独特のはかなさまで漂っていて、とても新鮮だったのです。大学時代に読んだモノの本には「偉大な父を持つ息子の常ではあるが、彼らが父への萎縮から弱い人間に育ってしまったのは否めない…」なんて書いてありましたが、失礼な話です。
今回演奏する彼のトリオソナタも、時おりドキッとするような刺激的な転調を見せたり、イタリア的ともいえるような美しいメロディーをもつ、素敵な作品です。リハーサルを重ねるたび、メンバーとそのユニークな発想と手法に「う〜ん…。そうくるんだ…。」なんて、唸っています。楽しいです。
あまり感心しない、例えば呑んだくれの父親の姿から、「ああはならないぞ!」と自らの生き方を見出すパターンは、男の子にはむしろよくあることかもしれません。女の私にはよく分かりませんが、父親の背中って男の子にとっての大切な学びの場になっているのかな、という気がします。そこへいくとカール・フィリップ・エマヌエル(名前、やっぱり長すぎる!)のように、すごい父親をもちながら、なおかつこんな素敵な作品を書いて、父と同じ音楽家としての人生を全うする、なんて、逆にすごいことではないかしら。
父親と息子の関係には、女の子の入っていけない、特別な響きあいがあるような気がして、ちょっと羨ましい気がするこの頃です。