第252回 子どもはすごい!

「Y君って例えばどんな音が好き?」音楽のセンスがあって、いつもレッスンではいい雰囲気をつかんでくれる彼は、なぜか次のレッスンでまた消極的な弾き方に戻ってしまうことがあるのです。正しい音で弾くのですが、せっかく前回掴みかかった彼らしい伸びやかな音の響きが、またどこかにしまい込まれてしまっています。

「そうだな、ちなみに私はね…。お寺の鐘の音なんて、好きだなぁ。そこいらじゅうの空気がいっぱい振動して、なんだか豊かな響きが無条件に体に染み渡る感じがしない?あとは落ち葉を踏みながら歩く時の音でしょ、トウモロコシの皮を剥くキュキュっていう音も好きかな。まだまだあるよ。…あ、いけないいけない、私のじゃなくて君の好きな音だったよね。…どう?」私が饒舌になっているのは、彼に考える時間とヒントを少しでもあげられる様に、という配慮のつもりでした。いつも私の質問に構えすぎてしまうところがあるまじめな、そしてちょっぴり複雑なお年頃?のY君が、少しでも緊張しないように…、という気持ちもありました。

でも、そんな私の心配をよそに彼はすらりと答えてくれたのです。「木の葉が風に揺れる音なんか、結構好きです」「いいね〜、私も大好き!…ね、私たちの好きな音って、みんな機械的に均等じゃないと思わない?Y君、そんなふうにきっちりきっちりじゃなくて、ミスなんか気にしないで君の好きな音の持つ“揺らぎ”や“響き”をもっとイメージして弾いてみようよ。例えば、こんな感じとか…」

私が“好きな音”に大好きな波の音を入れなかったのは、ある思い出があるからです。3〜4歳の頃、初めて海に行った時のことでした。そのあまりに広大な水の面積と、彼方から途絶えることなく響いてくる波のリズム、そして直接見えないけれど確実にその存在が感じられる、想像もつかないほど多くの生命体の溶け込んだ磯のにおい…。すべてがショッキングでした。浮き輪をもっていそいそ浜辺に出でる家族を尻目に、「あたし、行かない。車の中でお留守番してる」と言って聞かなかったのです。普段滅多なことで、こんなわがままを言う子ではありませんでしたから、よほどのことなんだろう、と父も母も諦めて、結局、他の家族が水遊びをしている間、一人ぽつんと車に残っていました。母が戻ってきた時には開いている車の窓から聞こえてくる波の音をバックに、「松ぼっくりが〜、あったとさ〜…」という歌を繰り返ししみじみ歌っていたのだそうです。

美奈ちゃん、海があまり大きくて怖かったのね、と母に言われていたし、ずっとそうだったんだ、と思っていました。確かに私は人一倍怖がりのところがありましたから。でも、一人でいるのが得意な方でもなかったのです。もし怖かったのなら、わざわざ心細い「一人でお留守番」なんて、申し出たかしら。…で、今ふと気づいたのですが、実はあの時、私は怖かったんじゃなかったのです。あまりに素晴らしい目の前の風景、音、におい…を前に、キャッキャと騒ぐ気になれなかったのです。海の世界感をじっくり、心ゆくまで体に感じていたい、味わいたい、というのが本心だったのです、きっと。…大人って、自分のことすら案外、分かっていなかったりするものなのかもしれません。

先週、レッスンでちょっと演奏のヒントを与えたら見違えるほどよく弾けた10歳のSちゃんに「今の、どうだった?」とたずねたら、彼女は少し考えて「う〜ん…。一瞬ね、体の中が音楽だけになった…」と答えたのです。おお!無心の極致。でもまさにそんな素敵な演奏でした(それが来週にはまた、もとに戻っちゃったりするんだけど…)。私もそんなふうに弾きたい。いや、そんなふうに生きたい…。

2005年09月01日

« 第251回 恩師との再会 | 目次 | 第253回 偉大な父 »

Home