第250回 指南所の師匠をめざして
月がきれいです。そういえば、8月15日は中秋。江戸時代には、この時期がお芋の収穫期にあたっていたこともあって、8月15日の「望月」は「芋名月」ともいったのだそうです(なんておいしそう!)。当時はお月見というとススキを飾って月の出るのを一杯傾けながら待ち、みんなで仲睦まじく作ったお団子を十五夜にちなんで一人15個を食べたといいます。嗚呼、夢のよう…。
江戸時代といえば、末期には江戸の人口は100万人を軽く超えていて、ロンドン、パリをしのいで世界ナンバーワンだったといいます。それから、驚いたのは識字率。寺子屋(指南所、というのが正式らしい)の普及で、これも世界ナンバーワンのレベルだったそうです。武士のような特権階級ではない人々も読み書きを普通に出来る、というのは、当時世界的に見ても異例のことだったようで、そもそも義務教育でもないのに男女の区別なく(場所によっては女子のほうが多いところも!)、子供たちの7〜8割が学校にかよっていた、という就学率は、欧米と比べても格段に高い数字(高いイギリスでも2〜3割)です。
さらに興味深いことに、指南所で使われていた教科書は、現存するだけで7,000種類を超え、一人ひとりの子に合ったものや必要と思われるものについて、先生が熱心に、かつ個人を尊重しつつ教えていたということです。しかもその内容は、読み書きは勿論、子供の家業に即したものから、結婚や離縁(!)の手続きについてまで、かなり多彩だったそうです。
江戸の人々が質素で小さな長屋住まいをしているのに庭先には花を飾ったり、ぼろを着てはいても一日に何度もお風呂に入って小ざっぱり身ぎれいにしていたり、貧しくても(貧しいから、かな?)お互い助け合って生活している様子に、外国からやってきた人は「なんて文化水準が高いのだろう」と驚いたといいますが、そういうことは学校の教科書からはなかなか学ぶことが出来ません。日本のいいところを教わったら、良い種類の自信がもっともっと得られると思うのですが…。
でも!学校ではできないような、細やかな“手習い”指導ができるのが、個人指導の強み。指南所じゃないけど、少しでも“学ぶこと”や“音楽”の楽しさを実感してもらって、人生がより心豊かなものになるお手伝いができますように…、と願いつつ、日々生徒さんのレッスンに取り組んでいます。特にここ数年は、演奏活動と同じように、レッスンが自分の音楽活動の重要な部分になっているような気がしています。
ピアノを教え始めたのは桐朋学園大学在学中の20歳頃でしたから、ピアノ指導者としてのキャリアはピアニストとしてのそれよりも長いことになります。地道な積み重ねへのご褒美か、今はすてきな生徒さんに恵まれて、レッスンを通して逆に私がよい学びや収穫を得ることも多くなってきたように思います。師弟関係、というけど、人間同士の関係って、師弟だろうが親子だろうが友達であろうが、実はどれも対等なもの同士、お互いに“学びあいつつ高めていく”ことができるという点においては、共通なのかもしれません。