第246回 マーちゃん、またね
前回のエッセイを更新した直後、大好きな祖母マーちゃんが他界しました。90歳でした。今日は告別式だったのですが、もう会えないと思うとなんとも寂しく、哀しみがしみじみと込み上げてきます。訃報を聞いてからというもののピアノを弾くたびに涙が出てきて、なんだか楽器に向かうのもいやな感じです(マーちゃんにおこられちゃう…)。私が音楽の道に進むことを誰よりも応援し、心の支えになってくれたのは、マーちゃんだったのです。でも、無理に自分の気持ちを整理したり押さえつけないで、今しばらくマーちゃんのことを偲ぼうと思います。
数年前に脳梗塞で倒れてからは、1〜2ヶ月に一度のペースで、お見舞いに行きました。お部屋に行くと、マーちゃんはベッドの傍らに腰かけ、静かに本を読んでいることがほとんどでした。私の気配に気づくと、ふと顔を上げ、表情がふわっと柔らかくなって、「あら、美奈ちゃん。よく来てくれたわね…。」と、それ以上ありえないような、気持ちのこもった優しい声をかけてくれました。それからはもう、マーちゃんの独壇場(!?)。次から次へといろんな話を聞かせてくれて、一時間たっても話題は尽きないのです。「せっかく来てくれたのに、何もなくて悪いわね…」と、気にしている様子でしたが、私はマーちゃんがそんなふうに、お話しをしてくれることが何よりの“おもてなし”だと感じていたし、そう答えていました。お見舞いに行ったはずなのに、いつも結局、私が元気をもらって帰っていたような気がします。
今日の告別式では弔辞を述べたのですが、そんな晩年のマーちゃんとの穏やかな幸せに満ちた、宝物のようなひとときのことは、言えずじまいでした。マーちゃんとの個人的な思い出を皆さんの前で発表するのは、なんだか照れくさかった、というのもありますが、何を言ってもマーちゃんへの感謝の気持ちを半分も言い表せないような気がして、鉛筆を握りしめて“固まって”しまうばかりでした。夜中の二時まで頑張ったけど、原稿はちっともまとまりませんでした。
弔辞はつくづく苦手です。おじいちゃんの時も、声とメモを持つ手が震えて、大変な思いをしました。
もしかしたら、本当はお別れなんか存在しないのに、無理にお別れを言おうとするからうまくいかないのかも。どう考えてもマーちゃんと私のつながりが、これで断ち切られてしまうとは思えないもの…。それどころか、マーちゃんが天国に旅立ったこれからは、もっと心の深いところでマーちゃんを感じることができるようになるのかもしれない。人の肉体は死んでも、魂は死なないのです。だから、感じていたい、と思ってさえいれば、いつもその魂を感じることができるはず。バルトークのリズムやシューベルトのメロディーが私の中でこんなにも確かに息づいているのも、それが彼らの魂の結晶体だからなのかもしれない。いや、恐らくそうなのです。
大好きな人との別れは確かに哀しいものですが、その人の存在を心の中に感じ、感謝し続けることが許されているというのは、なんと有難いことでしょう。そう思ったらなんだか、気持ちが楽になってきました。
明日はピアノを弾こう。マーちゃんに届くといいな…。