第245回 17歳の所信表明
先日新幹線で、同じ列の座席にある親子と乗り合わせました。小学校3〜4年生くらいの男の子と、そのお父さんです。男の子は自閉症気味の様子で、窓の外を見てはしきりに何やら一人でしゃべったり、あるいは歌ったりしています。隣を気にしないで話しているので、なんとなく会話が耳に入ってきます。男の子は、音楽療法を受けに行く(あるいは行った)ところのようでした。
私も高校時代は月に一度、新幹線に乗って東京へレッスンに通っていました。当時は今のような“週休二日”ではなかったので、貴重な休日ではあったのですが、東京へレッスンに行くのはとても楽しみで、レッスンでどんなに先生に猛烈に怒られようとコテンパンに言われようと、不思議なほどまったく苦には感じませんでした。それより、感じていたのは両親に対する申し訳ない気持ちです。地方に住んで、音楽の良い勉強がしたい、東京の音楽大学を受験したい…、という希望を持っているために、家族に大変な経済的負担をかけてしまっている、ということは、常に頭に引っ掛かっていました。それでなくとも、グランドピアノのために、家の限りあるスペースの中で部屋が完全に一つ、つぶれているというのに…。自分は音楽が何より好きである、ということは分かりきっていましたが、好きな音楽の道を目指す、ということが果たして本当に正しいことなのか、分からなくなる時がありました。
高校三年の今頃、リクルートという企業が奨学生を募集していることを、親友Aちゃんから聞きました。なんでも、まずは原稿用紙20枚に及ぶ論文審査があり、その後面接審査で全国から10数名が選ばれるというもので、選ばれれば四年間、年間100万円ほどの奨学金が得られる(ただし、現役合格しなければ資格喪失となる)ということでした。「私も応募してみようと思っているんだけど、美奈ちゃんも書いてみたら?」文系でしかも既に多くの全国規模の文学賞をとっている彼女のようなレベルのものはとても書けないのはわかっていましたが、『私は大学で何を学びたいか』という論文テーマに、言いたいことがたくさん浮かんできたので、思い切って応募してみることにしました。
後日、Aちゃんも私も面接を受けるように、という通知を受け取りました。狭き門の論文審査に、二人とも合格したのです(論文合格者は東北全体で6名、ということでした)。なんでも音楽の分野での論文審査合格は初めてのことだそうで、面接では“なぜ音楽なのか”、“音楽と社会のつながりについてどう考えているのか”、などを聞かれました。答えていくうちについ、いつも考えていたことが口をついて出てきてしまいました。「実は、大学で学んだことをその後の音楽活動に生かしたい、というだけではなく、もう一つ、夢があるのです」
「ほう。何でしょう?」「音楽学校を作りたいのです。規模は小さくても、地方に住む学生も地域格差のない、高いレベルの音楽教育を受けられる学校です。しかも特別に高い授業料を負担することなく…」ドイツやアメリカの音大での授業料は、国や奨学金制度のバックアップで授業料負担が日本と違ってずっと少ないことを挙げ、優れた才能が地域格差や経済的条件によって、充分ちからを発揮できずに終わることのないように、誰にでもひらかれた学校を作りたいのだ…、と、夢中で話していました。
面接は30分を超えましたが、この実体のない夢物語のスピーチのためか私はあえなく落選。(Aちゃんは見事合格!)でも、祈るような気持ちで懸命に訴えたあの夏の“所信”表明は、私の“初心”を再認識させてくれる大切な思い出です。渇!