第244回 ソナタマニア

思えば、ベーゼンドルファーというピアノが自宅に来てからというものの、その響きがとってもウィーン的・和声的で味わい深いために、弾きたいと思う曲の傾向が変わってきたようです。勿論ピアノが変わったからというだけでなく、もっと大きな背景に“年齢”があるのだとは思うのですが…。

相変わらずラフマニノフの醸し出す、ピアノならではの華やかな技巧に溢れかえった、ゴージャスでロマンティックな作品は大好きですし、リストの神がかったブリリアント・ピアニズムには今も心惹かれています。ショパンの美しい旋律と、案外エキセントリックな個性をもつ小品の数々にも、年々興味は深まるばかり…。でも、今毎日触れていたいと感じているのは、ベートーヴェンやシューベルトのソナタです。それは「ごはんと一汁一菜」のように、音楽(ピアノ)にかかわる私にとってなくてはならない“基本の栄養源”になりつつあるののを感じています。

二人に共通する部分の一つに、生前から作品が人気があった、ということが挙げられます。本国ドイツの人々には“難解すぎる”と敬遠されたりもしたベートーヴェンですが、ウィーンではブルジョア(ってドイツ語で何ていうんだろう?)階級に広く受け入れられていましたし、やはりその作品が、時として“理解に苦しむ転調だらけで、しかも曲が長すぎる(失礼な…!)”などと言われてしまうシューベルトも、出版された楽譜の予約人気こそベートーヴェンに及ばなかったものの、特定の貴族や宮廷などのバックサポートもない“自立した”音楽家としては大変立派な収入を得ていました(貧乏なイメージがあるけど、これはオーストリア人にありがちな“宵越しの金は持たない”的快楽主義によるところが少なくないためで、実入りがあればすぐに使ってしまったからである、というのがウィーンの有力説だそう)。

意外に二人とも諸方面の話題も豊富で、歴史・哲学からグルメまで、幅広い知識を持っていたとも言われています。音楽家というと、音楽以外のことには興味を示さないような、「偏った天才」のイメージが浮かびがちですが、「偏っていない天才」というのはこれはこれでなかなか凄いものだと思いませんか?ただ、ベートーヴェンの気性の激しさは有名ですが、シューベルトも結構、油断ならない人物だったようです。あの穏やかで詩的・瞑想的な作風からはちょっと想像しにくいのですが、かなり皮肉屋な一面もあったそうですし、人にも自分にも厳しい人だったようです(曰く、「何の意図も持たずに、無意味に生きているような人間には、苦痛を感じる」「人は歩み寄っているように見えても結局平行線をたどっているものだ」)。

生涯独身だった彼らですが、残してくれた素晴らしい作品の数々には本当に感謝あるのみです。中でも、特に私が一番好きなのはソナタ(ピアノソナタに限らず!)。知れば知るほど“はまって”しまう、芸術性の深さや豊かさを湛えた彼らのソナタには、題名や知名度を超えた面白さがあります。ベートーヴェンとシューベルトのソナタを一生涯追及し続けていくようなピアニスト人生に、ちょっと憧れるこの頃です…。え?「そんなこと言っちゃって、根っからの食いしん坊なのに『一汁一菜』じゃモノ足りないんじゃないの?」ですって?失礼な…。でもまぁ、確かに食後に何か甘いものは欲しいかなぁ…。

2005年07月07日

« 第243回 英国:高速飛ばしてゆっくり歩こう ④(最終回) | 目次 | 第245回 17歳の所信表明 »

Home