第508回 ライフ・イズ・ビューティフル

2011年1月28日 Category: ピアニストのひとり言
Author: Mina
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先日、母の年齢を超えるMさんが、初めてここにレッスンを受けにいらっしゃいました。 レッスン前、今までの音楽との、そしてピアノとのかかわりについて色々と打ち明けてくださったのですが、まず最初にハッとしたのは、Mさんのお話になる日本語の美しさでした。 助詞、助動詞の的確な使い方はもちろん、丁寧な言葉の選び方や落ち着いた誠実な受け答えに、えもいえぬ知性と気品が溢れ出ていました。昔の日本人が皆、そうであったなら、かつての日本という国はいったい、どんなに美的・知的水準の高い国だったことでしょう!さらに嬉しかったのは、お話の端々に、向学心が暖炉の火のように温かく燃えているのが感じられたことでした。 「この方の奏でる音は、きっと、その印象そのままに素敵に違いないわ…」お話を伺いながら、私はMさんの早く音を聴きたくて、そわそわわくわくしてきました。「それでは、どうぞ弾いてみてください…」ピアノに促すと、謙遜なさいながらも真剣に、モーツァルトの『キラキラ星変奏曲』を弾いてくださいました。果たして、思ったとおりの澄んだ、穏やかな音でした。 読譜も丁寧で、ミスをした後も決してなおざりに弾きなおしたりしません。楽譜を注視しながら、ひとつひとつ懸命に音を紡ぐお姿…その小さくチャーミングなお背中に、ふと数年前に亡くなった、音楽が大好きだった目黒の祖母が重なりました。 波乱万丈の人生を経てなお、最後まで人を楽しませようとする気持ちや音楽や美味しいものへの情熱(?)を失わなかった大好きな祖母、“マーちゃん”が、目の前に現れて、ピアノを弾いてくれているような気持ちになって、一瞬、言葉につまってしまいました。 「ありがとうございました。とても素敵ですね。丁寧に楽譜をお勉強くださっていて、感服いたしました」前置きに続いて「さて、例えばこのような場合には…」と、本題に入ると、Mさんはとても集中して私の話に耳を傾け、ピアノを弾く私の手をよく注意してご覧くださいます。少しでも多くを吸収しよう、言われたことをやってみよう、というお気持ちがひしひしと感じ取れ、私もつい熱が入ってしまうのですが、それがいつものように“熱い(?)”ものではなく、Mさんから感じられた向学心のように、やはり暖炉の火のような“温かな”熱であることに、ふと気づきました。逆に、Mさんに無言で何かを教えていただいているような感じでした。 余談ですが、生徒さんから受け取ったお月謝袋や封筒からレッスン料を確認すると、未使用と思しき新札が入っていることがほとんどです。私はさほど気にしないのですが、生徒さんのご両親やご本人が気を遣ってくださるのは、素直に、とてもありがたいことだた思っています。 かく言う私も、自分はともかく、自分の先生にお渡しする時には、新札にするよう心がけていました。流儀が違っているととは分かっていつつ、外国でも、日本人のたしなみとしてお礼は必ず封筒に入れ、その封筒を両手で持って「ありがとうございます」と、差し上げるようにしていました。先生に財布からだした“はだか”のお札をお渡しするのには、どうしても抵抗感がぬぐえないのです。 「君の国の素晴らしい文化や美意識を、大切になさい。それを誇りになさい。君のその、例えば両手で丁寧に封筒を差し出す、という美しい所作には、音楽的なヒントだってたくさん潜んでいるんだよ。書の筆のタッチ、茶の湯の侘び寂び…表現や解釈に行き詰ったら、日本の心に答えを見いだしてみなさい。それでも迷ったら、まあ、10年後くらいにまたいらっしゃい。僕が生きている保障ははないけどね(笑)」10年ぶり(!)にロンドンにレッスンに伺った折、エステルハージ先生はそう言って微笑んでくださったっけ。 あれから何年がたつのでしょう。もしかしたら、このぶんだとまた10年もお会いしそびれてしまいかねません。 人生は、時間の美しい積み重ねなのだ、と、Mさんの音を聴きながら、改めて感じました。「人は、知らず知らずに最良の人生を選択しながら生きている」 とは、誰の言葉だったかしら。私がMさんに出会えたことも、Mさんが私のところに来てくださったことも、どうかそれぞれの“最良”な人生の一部分になりますうように…。

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